小谷④ お屠蘇の会 永禄十年(1567)正月三日。 暮れからの雪は降り続き止み間は二日の一日だけで三日も雪になった。 二日に止んだのはお市の方の我侭が通ったのか? 花嫁のお披露目を兼ねた館の大広間には浅井の三将(赤尾清綱、海北綱親、雨森清貞)をはじめ…

余呉湖① 姫屋敷の庭に佇んでとりとめもなく思い出しているお徳。 永禄十年(1567)春三月。 館の裏庭でもあった馬場にこの姫屋敷は建てられた そこに咲いていた多種多様な桜木のほとんどが姫屋敷を建てるために切られ、生き延びた何本かの姥桜が塀越しにあざ…

琵琶湖永禄十年(1567)秋八月十三日。 お日様が後から頭を覗かせた早朝 ちょっと色付き始め見事に生え揃つた稲穂を左右に、琵琶湖に行く道を、汗を拭き拭き股ずれを気にしながら歩いている夏太りのお福。 並んで歩いている細身のお菊も朝日が当たり汗がうっ…

十三夜 同年同月同日 昼を過ぎ、貸し切り状態の緒上荘にいずれも徒歩で孫右衛門と長政が姿を見せた。遅れて久政がちょっと立ち寄った風情でこちらも徒歩で顔を出した。 いずれも供はわずかだった。そして 夕刻前に仕事を済ませた市之介がお徳を連れ仲良く到…

姫屋敷① 永禄十年(1567)秋八月二十三日。 予定よりちょっと遅れて無事女子を出産した。 その三日後、 稲葉山攻撃の応援に市之介と共に一千の兵を連れ出陣していた長政が夕刻帰ってきた。 清めの塩で迎えたお菊のうりざね顔がやや丸っこくなっている。 「お…

競歩 永禄十年(1567)九月十六日。 小谷の早朝。 気持ちいい冷気のなかわき目も振らず早足で歩いているお市の方。 もともと肥える体質なのに産後の肥立ちも順調でひねもすぼうっとしていたら、「ご立派なお体になられて」とお徳に嫌味を言われその気になっ…

自壊 永禄十一年(1568)一月一日。 去年とうってかわって雪は無いが春とはいえまだ寒い元旦。 ここが田屋市之介の屋敷で大晦日の晩から来ていたのだとお徳が思い出したのは新六郎の行ってらっしゃいという顔が浮かんだからだが市之介の若い肌に触れながら春…

北国街道① 永禄十一年(1568)春二月十日。 明け六つ。一乗谷に総勢二十五人が姫屋敷の前に顔を揃えた。 早朝にもかかわらず見送りに姿を見せた久政。 留守居のお香に抱かれて眠っている茶々姫をチラッと見た久政が、 「娘より一乗谷か」と言ったので微笑ん…

一乗谷① 永禄十一年(1568)春二月十四日明け六つ半。 一乗谷を目指して西光寺を発つ。 進むにつれ鮮やかさを増す桜花に、市之介はだんだん憂鬱になり、光秀はいよいよと張り切り、お菊は馬上で揚々と胸を張った。 辺りを見渡した治重郎。 満開の花びらの一…

一乗谷② 永禄十一年(1568)初夏四月。 《嵐が去って一乗谷の(時)が止まった》 挽かれた姥桜に重なり抱き合って倒れている二人を浄真寺に運んだ 医者は呼んだが役に立たず、 怪しげな結界に包まれ息はしているが一乗谷の桜がすっかり散っても結界の霊気は…

朝倉館① 永禄11年(1568)夏4月 本願寺との和解が定まった今では何かと金の掛かる義昭公を追い出したい朝倉館の思惑や光秀の苛立ちはともかく、 お徳を此処にこの状態で置いていく気はさらさら無い治重郎が気になるのは嫡子を亡くしたと噂される朝倉義景の暴走…

聖徳寺① 永禄十一年(1568)秋八月。 尾張の北西木曽川の支流領内川沿い富田に寺内町が広がり、橋で結んだ対岸に伽藍と塔頭が立ち並ぶ広大な真宗聖徳寺。 その聖徳寺の南の外れ、石垣で囲まれた二棟の建物。 その二棟の建物を隔てる渡り廊下の下を流れる疏水…

墨俣① 永禄十一年(1568)秋九月に入りほどないころ。 女は(益田内膳)を訪ねさ迷っていた。 記憶は途絶え自分が誰で何処から来て何処に行こうとしているのかも分からなかったがなぜか懐にあったまだ日に焼けていない一枚の白い懐紙に記されていた名前(益…

長良川① 永禄十一年(1568)秋九月に入ってしばらくしたころ。 三郎信長が京に発つと決心したので川内に行くことにした内藤冶重郎が頭の中に持ち帰った川内の図を信長に渡したのは万一のことを思ったからだった。 艪を漕ぎながら輪中と島を巡り、その日のう…

川内① 永禄十一年(1568)秋九月二十六日、朝。 源次郎の船で長良川を下る治重郎。 去年、稲葉山で意地を通した若い斉藤龍興に道を開け、川内に落ちるのを信長と見送った長良川は墨俣辺りで木曽川と合流し、川内に掛かる手前で再び分流する。船は木曽川の速…

川内② 再び九月二十六日。夕刻。 こまった筋書きになった小六とお徳とのことを世間話のように話しているうちに窺っていた風が玄関から奥の縁に通り抜け、日が落ちる前に華子が帰ってきた。 「ただいま」と言って玄関に入った華子が、「お帰り」と言って迎え…

森島① 永禄十一年(1568)九月二十七日。 森島にあるお小夜の在所源真寺の住職偏空和尚と会うのは二度目だった。 信秀の怒りを買い森島に逃げ、源真寺で所帯をもった若い夫婦が偏空こと服部一太郎と鶴女だった。 怒ってはみたが腹違いの妹を心配する信秀の思い…

墨俣② 永禄十一年(1568)十月十八日、足利義昭に征夷大将軍の宣下が下る。 入京した織田軍が三好三人衆とそれに組して敵対する勢力を池田城まで追い、機内の大部分を制圧。目出度く第十五代足利将軍になった義昭公の御座をとりあえず六条本圀寺に置き、十月末…

墨俣④ 永禄十二年(1569)正月一日。 ズドーンッ、ズドーンッ、ズドーンッ。馬小屋の前で三発の荒き音が響き、新年の祝いもかねて撃った三丁の新しい火縄銃の筒口から煙が燻っている。衝撃の手ごたえとツンザク轟音に興奮を隠せない華子が叫んだ。 「当たっ…

石山本願寺① 永禄十二年(1569)一月初め。 数えで二十七歳になった本願寺十一世顕如は腹を立てていた。 前の年、足利義昭を奉じて入京した織田信長がわが本願寺に五千貫もの矢銭を要求してきた。大金だが世の安定は望む所なので上洛のお祝いにと払っただけ…

川内③ 永禄十二年(1569)夏閏五月。 明け始めた長島の朝を源次郎の船に乗ってゆったり揺られている冶重郎。 「穏やかな朝だな、源次郎」 「まったく、この穏やかさが何時までも続けばよいのですが」 五月の末には行くと源真寺のお小夜に知らせたら、お父さ…

聖徳寺② 永禄十二年(1569)秋八月一日。 お膳を前に縁に座った山本佐内。この一年で歯の大半が抜け落ち碌々噛めなくなったのを胃の腑が補い喉越しを味わうことを覚えた。絶っていた酒を飲み始めたのは再三現われあれこれ言い訳がましい道三のもっともらしい…

岐阜城① 永禄十二年(1569)九月初め。 信長に呼び出された三人のうち体調が悪いという千代を措いて新六郎と華子が岐阜に向かった。「お千代さん大丈夫かしら」と馬上で配そうな華子に、「仮病ですよ」と笑った新六郎。「仮病? なぜ仮病って分かるの」と首…

二条館② 永禄十二年(1569)冬十月初め。 三郎信長の目を初めてまともに見たお菊。 二条館の客間の前で伏して信長を迎えたお菊に、「お菊か顔を上げよ」と信長が初めて声を掛けた。ハイと仰ぎ見たお菊の目が三郎信長の目と合い、(ああっ男たらしなのだ)と…

姫屋敷② 永禄十二年(1569)冬十月十九日。 「お菊殿が在所に帰っているようですねお香、どうしたのです」 「うわさでは公方様と喧嘩したとか」 「公方様と喧嘩したのは兄上でしょうお福、お菊どのもですか?それなら兄上が喧嘩した理由を知っているかも。手…

禁裏① まさかそんなことはありえないと思ったことが信じられない早さでお菊のもとまで伝えられたのは岐阜から京に駆けお上に懇請したのが信長自身だったから。 永禄十二年(1569)冬十月二十一日。 「まえぶれも無く来るのは以前と同じ、イラチなそこもとら…

二条館③ 岐阜に早馬を出してからそれこそ電光のように伝令が飛び交い信じられないが半月後に迎えの書状が緒上に届き即小谷に。その早さに驚きながら準備万端堅田衆が用意した自慢の速舟を連ね、比良の頂に輝く雪を眺めながら坂本まで琵琶湖を一気に縦断。ぬ…

黄金の免罪符③ 永禄十二年(1569)十一月初め。 墨俣から上京して半月程たった清原邸。京見物も紅葉見物も一通りすませ、京の底冷えを感じながら宛がわれた離れの居間でのんびりとお茶を飲んでいる三人。 この朝突然奇妙丸が訪ねてきた。「親父殿が京え行く…

墨俣⑤ 永禄十二年(1569)大晦日。 閏年で一年が十三ヶ月のこの年も暮れようとしていた。 正月は墨俣で過ごしたい三人。それぞれの思いで関が原も無事に越え、小六の屋敷の冠木門からそろって元気に「ただいま」と言った。 迎えに出た内膳夫妻に笑顔で会釈し…

岐阜城➁ 永禄十三年(1570)一月一日。 二度目の山登りも息を切らせている華子がようやく辿り着いた信長の居間。 額に汗を浮かべている華子。奇妙丸がいたので、この前信長にしたのと同じように襟元を広げ風を送りながら、「なんでこんな高い所にお城がある…