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南蛮貿易船 ①
天文十年(1541)より九年前の享禄五年(1532)夏五月。
敵味方無用の自治都市堺。
南蛮貿易で賑わいはじめた堺の商人納屋宗次の屋敷に、揃って訪れたのが美濃の長井規秀(斉藤利政)と尾張の織田信秀。
敵対しながら惹かれあう二人。
歳は親子ほど離れた二人の男が、初めて顔を合わせたのは、享禄五年よりさらに六年前の大永六年(1526)春。
聖徳寺とその寺内町を結んで架けられた両国橋の上だった。
かねてより勢いのある織田信秀に注目していた長井規秀。
引き寄せられたように出会った二人。
目を合わせるなり美濃の長井規秀と名乗り、
「この規秀が美濃を手に入れ、信秀殿が尾張を統一したあかつきには、二人して天下に打って出よう」と言った。
勝手なこと言われ、勝手にやってくれと思った信秀だが、
「天下に打って出て何をするのだ」と聞くと、「天下の美女をはべらせる」と規秀が言ったのでにやりと笑って頷いた信秀。
若年ながら未だ割拠する隣国尾張を纏める実力者の信秀。
遠からず尾張を統一するに違いない織田弾正忠信秀の弱点が、女にはめっぽう目が無いことを規秀は知っていた。
会ってすぐ共に相性の良さを感じた二人。
言うまでもなく相性はとても大事。
相性が良ければ、皮肉を言ったつもりでも冗談にとられるけど、
相性が悪いと、冗談を言ったつもりでも皮肉にとられる。
やることなすこと全て悪意か善意かにとられてしまうのが相性。 まあ逆に言えば、うまくいかなかったことを相性のせいにすることもできる。
それはともかく
「天文」とか「享禄」とか「大永」とか言うのは元号と言うもんで、俺の使っている国語辞典によると、その天皇在位の象徴としてつける年号 とある。まあ要するに天皇の権威を示すために設けられたものだろう。
暦学に通じていないと、今現在この国のどのあたりにいるのか、つまりこの国の歴史も分からないということで、ほとんどの日本人は分からないから、外国人にとってはそれこそ、ちんぷんかんぷんだろう。
それ以来つかず離れず、合戦も馴れ合いの関係を保つ二人。
話をはじめに戻すと、
時々示し合わせて京に遊ぶ足を今回堺までのばしたのは、唐国から来た鉄砲というものを見るためだった。
ちなみに、鉄砲は、種子島にポルトガル人が、はじめて我が国にもたらしたとなっているがそれ以前、唐国から鉄砲と言うものが来ているのだ。資料もある。ただ性能的に鉄砲と呼べるものかはわからない。
まあ歴史は難しいし文書もどこまで信じていいものやら難しい。
鉄砲を見るつもりが目に入ったのが南蛮貿易船に乗って来た双子の姉妹。
「二人は一緒と言い張るので……」
といささかもてあまし気味の納屋宗次。
「実は一人ずつなら引きとり手は結構あるのですが」と納屋宗次。
「まあこの美貌ですから、お妾さんか、側めですけどね」と納屋宗次。
「でもふたりともとても賢いですよ。うちに来て一か月ほどですが、それまで琉球語しかしゃべれなかったのに、今ではこっちの言葉、結構しゃべれるようになって、漢字は難しいって言ってるけど、平仮名やカタカナは自在に書けるほど」と感心しきりの納屋宗次。
なるほどと双子の姉妹を改めてみた二人の男。
「ここに来たときこの服装だったのか」と納屋宗次に聞く信秀。
「そうだ」と納屋宗次。
「だが、だいぶ痛んでいたので、今着ているのは同じようなのを作らせたもので、全く同じと言うわけではない」と納屋宗次。
「もともとのものはアオザイというものらしい」と納屋宗次。
ふむっといったきりしばし無言の二人の男。
胸といい腰と言いお尻と言い体の線が露わな二人の女。
瞳が青く輝き、白い肌から薫り立つ二つの姿態の異質な妖気に囚われた二人の男。
つばを飲み込む信秀を横目に、
「双子を離れ離れにするのは酷なこと」
と長井規秀がもっともらしく言い織田信秀は深く頷いた。
そして長井規秀が単刀直入に言った。
「私たちと一緒に来るか」
「二人一緒なら」
と言って二人そろってにこっと笑った。
笑ったとこを見ると、二人の男が気に入ったのかそれとも、見世物みたいな状態でここにいるのが嫌だったのか。
気が変わらんうちにと鉄砲そっちのけの男二人。
たまたま洪水からの避難用もかねて寄進するため建てていた僧房。
尾張と美濃が一棟ずつ、尾張方から織田信秀が、美濃方から長井規秀がそれぞれ奉行として、どんな洪水にも負けない堅牢な修行用僧房を目指し競っていた。
そして二人の力で強引に、
堀と石垣で囲い渡り廊下で結ばれた二棟の僧坊を、表向きは寄進したように内外に見せ、急遽改装して姉妹の住まいに転用することにし、その間、聖徳寺の塔頭の一つを借り二人を住まわせていた。
その一室で向かい合った四人。
性格は分からないが見た目はどう見てもそっくりな双子の姉妹。
名を聞くと姉は(つる・フェレイラ)妹は(はな・フェレイラ)と言う。
二人の女を前に、どちらをどちらがと決めかねている二人の男。
無神経にもほどがある二人の男を笑ってみていたが、
「決めなくてもよろしいのでは」
とあっさり言う姉妹にびっくりした二人の男。
腹の据わった笑顔が此処に来るまでの過酷な運命を物語っていた。
あおられた感じの二人の男。
「双子を好みによってエコヒイキしてはいけない」
と美濃の男がうそぶき、そんな人の道に外れたことはダメだと尾張の男の理性が思ったのは一瞬だけだった。
ほどなく僧房を改装した屋敷ができ、渡り廊下で繋がった二棟の一軒ずつに住まわせた。
二人の男は合戦しては女に会いに行った。
いや会いたいために合戦した。
かち合った時のため、それぞれの目印を門の前に置き、それがあるときにはもう一人のほうに回った。
そんな夢のような時が過ぎ、やがて二人の女は時を経て、異質な血を持つ三人の男女を産んだ。
【天文三年 (1534) に姉が生み信秀に引き取られた男児は、継嗣として乳母に育てられ幼名吉法師、元服して三郎信長と名乗った。
後れて天文七年(1538)に妹が産んだ双子の姉妹は利政に引き取られ、姉は帰蝶、妹は市蝶とそれぞれ命名された】
姉妹が引き取られる時、
兄妹一緒のほうがいいから私が引き取る、と信秀が言い出したが、前に譲ったろうと利政が言って、両手に一人ずつ二人の赤子を抱え、愛おしそうにクルッと回って揺籃にそっと下した。別れを悲しむより、ほっとしたような姉妹に見送られ、屋敷を出た闇の中、赤子の一人がニッと笑った。
姉妹は分かっているだろうが、
兄妹の父親が誰かは言わなかったし二人の男は聞かなかった。
黄金の免罪符①
産んで間もなく、役目は果たしたかのように息を止めた二人の姉妹。
父母を奪われた恨みを、二人の男に体を張って託した「黄金の免罪符」の話を二人の男は忘れなかった。
「ある日、何処から来たのか誰なのかもわからない人に、(黄金の免罪符に抗議するお前たちの父と母を連れて行く。その代わり、お前たちに黄金の免罪符を与える。いずれ何処にいようとお前たちを十字の鉄槌が追って来る。それまで生き抜き子を生し黄金の免罪符の血を伝えよ。それがお前たちの定めだ)と言われ、南蛮貿易船に乗せられたのです」
そして、父と母が連れていかれてからずっとつらい日々でしたが,お二人にあってからここに来てからは幸せな日々でした、といって笑顔を見せ息を止めた