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川内②
再び九月二十六日。夕刻。
こまった筋書きになった小六とお徳とのことを世間話のように話しているうちに窺っていた風が玄関から奥の縁に通り抜け、日が落ちる前に華子が帰ってきた。
「ただいま」と言って玄関に入った華子が、「お帰り」と言って迎えた母の隣に当然のように座っている男を見て、「こんにちは」と言った瞬間閃いた。
「アラッもしかしてお父さん!」図星をさされうろたえる男。
「いらっしゃい」と何のこだわりもなさげに上がり框を踏んだ華子がくったくない後姿を魅せ、屋根裏部屋に上がっていったがすぐ声だけ降りてきた。
「そうして並んでいると仲のいい夫婦みたい」
その後しーんと静まり、申し合わせたように小声になった元夫婦。
「口の悪いとこはお前そっくりだな」と冶重郎。
「いい加減なところはアナタそっくり」とお小夜。
「口が悪くていい加減ではまったくいいところがないが、わが子に言うのもなんだがべっぴんだな! 誰に似たのだろう」と冶重郎が言った。
「もちろんわたし」とお小夜が言った。
*
汗を流してさっぱりした親子三人が初めての食卓を囲んだ。
母が湯飲みに注ぐお酒をおいしそうに傾ける父親を見ていて自分だけお酒が飲めない体質だと分かり、首をかしげた華子に父親が言った。
「お母さんとも話したのだが、川内を出る気はないのか」
出てどうするのと気の無さそうな華子に、
「ここはひどいことになっている。これからますますひどくなる。若いお前が住むところではなくなった」と冶重郎が言った。
「ふーん 出るとしたら、お母さんもいっしょに行くの」と華子。
「さっきもお父さんに言ったけど在所が心配だから……」と言う母に、
「それならいっそお父さんとよりを戻してお寺を継いだら」
と母親と同じことを言った華子だが
そろって笑いをこらえた二人を見て、ははあーっと頷き
「二人でばかにして!それなら聞きますがおかあさんは信秀様が初めての男でしたの?そしてお父さんはお母さんが初めての女でしたか?お二人とも答えなさい」
と突拍子もないことを口にした
「バツが悪いからって急にへんなことを言い出して、お父さんがビックリしていますよ。でもこんな話が出来るのも最初で最後かも……正直に言ったら初めてではなかったの」と母
「最初は幾つのときなの?」と娘。
「十二の時。二人いたけど、ふたりとも一回だけ」とあからさまな母。
「ふーんまあ普通ね。わたしが物心付いてからは時には同時に何人かと、でも嫌じゃあなかったのおかあさんが楽しそうだったから」
とは言ったが、門徒に開放されていた願証寺の道場で密かに武術や馬術に打ち込んで体をいじめ、戸惑う幼心を紛らわせていたことは知らなかった母が言った。
「お前がそう言ってくれるならお母さんは助かるけどお父さんの困った顔。お父さんとは兄妹みたいなものだから、もちろん本当の兄妹じゃあないけど」
「さっき分かったことだけど、わたしがお酒を飲めないのはここにいるお父さんの子ではないから?本当のお父さんはほかにいたりして」
と言う華子を改めてみると、(別れのあの時出来た子なら十九の娘になっている筈だが、冶重郎には十四・五の少女にしか見えない)
「冗談ですよ居るわけないでしょう」
とは言ったが風向きが怪しくなり、「お前はどうなの、遊んでいるみたいだけど妊娠したことはないのね」と娘に矛先を向けた。
「ないわ。赤ちゃんを処理した若い子を何人も知ってるけどわたしは無いわ。もし出来たらそのとき考えます。育てるのは大変だけど処理するのは簡単だから」
と言いながら処理するため喉の上に足を乗せたときはやり方をしっかり見定めた華子は、息の絶えた嬰児が引き潮に乗って漂いながら海に流れて行くのを若い母親と見送ったことも何度かある。
死は往生への旅立ちだからここでは誰も気にしないのだ。
冶重郎もここに居る時はさして気にしなかったがここを離れそしてわが子のことになると別のことなのだ。
*
自分が真ん中に川の字に寝る気恥ずかしさ感じた華子がお父さんを真ん中にと言うので父親を真ん中に部屋いっぱい三組並べた布団に横になり家族を感じた親子。
「華子のこれからのこと心配しているわよお父さん」
「川内を出たい気もするの、今まで一度も出たことがないから」と華子。
「とりあえずわしの所に来たらいい」と冶重郎。
「お父さんのところに行ったら信長様に会えるかな」と華子
「会えるが会ったら三郎さまと呼んだほうがいいな、信長は諱だから。もっとも三郎さまは無頓着なようだが、慣習は慣習だから知っといた方がいい」と冶重郎。
「ふーん三郎さまなんだ。その三郎さまの若い頃、ボロボロの格好でうろつきまわって尾張のウツケ者って笑われていたってーー」と言いながら寝息に変わった華子の気配に目を細め小声になった父。「――本当だが、動きやすいとかそれなりの理由はあったのだ」
となお治重郎は言ったが本当の理由を母親は確信して言った。
「周りに寄ってきた貧しい悪童達の格好に合わせていたに違いないの。貧しいことで引け目を感じさせないようにわざと。だって三郎信長さまは三郎信秀さまのお子ですもの」
と言うお小夜の信秀びいきに嫉妬を感じながら、「門徒として仏の教えに反していないのか?」と言っては見たが何のこだわりもない明るい顔で、(処理するのは簡単)と言うのがわが娘なのだ。娘の歳のことも措いて眠るより仕方がない冶重郎。
そんな夫をうかがいながら
「華子の信心は形だけ。そのあたりのことは森島に行って、時衆ではどうなのかお父さんと話をしてみたら」
と言っている途中に二つの寝息が聞こえ、まあっとため息をつき、触れる体の肉付きに比べ変わらない性格に感心しながらそっと撫ぜた。