相姦図①
母の死の代わりに生まれた俊夫は父の父乳でそだった
俊夫が乳を求めて父の父首を吸っていたら乳房が膨らみ乳がでてきた
離乳を迎えた俊夫は父から離れがたく乳首の代わりに男根を吸うようなり半ば父の精液でそだった
生存税
公園のほうから異様な叫び声が聞こえたと思ったらすぐ消えた
そっと覗いてみると首にわっかをかけられた老人がワゴン車に乗せられていた
八十歳を過ぎて生存税を払えないとどこかに連れていかれ二度と帰ってこないのだ
オレももうじき80になるけど一億円も払えない
くびにわっかをかけられ引きずられるのは嫌だから出頭するよりない
洗面所のカガミをじいつとみた
流産
いちばん上の姉が流産した
大泣きの義兄泣き続ける
そない泣かなくてもと思いながら
洗面所のカガミをじっとみる
ぽち
ぽちが死んだよって母から告げられたのは12歳のとき
ぽちは捨て犬で3年前家に迷い込んできたのを飼っていた
庭で放し飼いしていた鶏を牧羊犬のように小屋に追い込むほど賢い犬だった
その可愛がっていたぽちが死んだ
洗面所のカガミを見たなぜか悲しくなかった
■
「享禄五年 (1532) から天正十年 (1582) までの筋書」
木曽川①
木曽川は上流から下流に下流から上流に絶え間なく流れる水で遠い対岸まで埋め尽くされ、辿り着いた旅人に渡る気を起こさせないような威圧感がある。
天文十年(1541)春二月。
堤の上に根を張った姥桜の苔むした太い幹からほんのりと薄い紅色をのぞかせる蕾を無数に付けて四方八方に伸びている枝の下に佇み、三頭の馬をひいた三人の人影が見つめる川中の引き潮に乗った筏が何床も連なりうねりながら下って来た。
先頭の筏で竿を操るのが股引に腹掛け姿の若者唯一人。腹掛けの胸に○に六の字がくっきりと体の動きに合わせて躍り、手を振る三人に応えて遠く白い歯がきらりと輝いた。
「イカダから落ちたらどうなるの」とお春が訊いた。
「死ぬだろうな」と冶重郎が答えた。
「命がけなのね、イクサに行くのとどっちが危ないの?」とお春が訊いた。
「さあ、どっちかな? どっちだろう」と冶重郎が言った。
「イクサだ」と吉法師が叫んだ。
「イカダよ」とお春が叫んだ。
「イカダに乗ってイクサに行くのがいちばん危ない」と冶重郎が言った。
「またふざけて、ふざけてばかりいると冶重郎さまのお嫁さんになってあげないから」
とお春が言うと吉法師が言った。
「お春は吉法師の嫁になるって、こないだ言ったのに」
「吉法師さまは泣き虫だからいや、泣いてばかりだから」とお春言った。
「もう泣かないから……」と吉法師が言った。
「ほらもう泣いてる、弱虫」とお春が言った。
「二人は幾つになったのかな」と冶重郎が訊いた。
「おれは八つだ」と吉法師が言った。
「わたしもはっさい」とお春が言った。
「二人が三つの時からだからもう五年たつのか、あっという間だった。馬にも上手に乗れ
るようになったし、特に吉法師さまは上手だ、なあお春上手だな」と冶重郎が言った。
「上手、馬は上手」とお春が言った。
「上手なこと、好きなことを一生懸命やったらいい。お春は何が一番好きなのかなあ?」と冶重郎が訊いた。
「遥子はね、人の髪や顔にさわるのが好き」とお春が答えた。
何故か時には自分のことを遥子と言うようになったお春。
「それならいつか大人になった遥子にさわってもらうのが楽しみだ」
と言った治重郎の笑顔が一転真面目な顔になり「ところで今日ここに来たのは二人とお別れするため。わたし内藤冶重郎は桜が咲いたらこの川を渡った伊勢長島で小夜という娘と妻夫になることにした」と言った。
「……」
「……」
めったに人を褒めない冶重郎が褒めたわけがわかった遥子。
「この五年の間、二人と過ごせて楽しかった」
「……」
「泣くなお春泣くな。いっしょうけんめいけいこして馬で川をわたって冶重郎に会いに行くからなあお春、いっしょにおれの馬に乗って会いにいこう。もう泣かないから、誰よりも強くなって誰からもお春を守ってやる」
と言う吉法師に治重郎が言った。
「吉法師さまは根が優しいから強くなったらホトケに金棒だ」
■
伊勢長嶋⓪
天文十年(1541)正月。
呼ばれて新年の挨拶かたがた兄貴の居室に出向いたら、「お小夜だ」
と言ってかたわらに控える若い娘を示した。
「吉法師の遊び相手は桜の咲くまで、ご苦労だった。桜が咲いたらこのお小夜と妻夫になって長島に住むように」
と言われ、兄貴と呼んでいる織田信秀をほほおっと見た。
「お小夜は川内の出だ」
と言われ、頭を下げた小夜という娘をほおっと見た。
「小夜です、よろしくお願いもうします」
と言って上げた丸い顔がにこっと笑った。
笑顔に文句はなかったので、「内藤冶重郎です、よろしく」
と言って咲く桜と共に二人で川を渡った。
*
木曽川、長良川、揖斐川の濃尾三川が伊勢湾に注ぐ河口は三川からの土砂が長い長い年月の間に積もりに積もって広大で肥沃な中洲を造り、たどり着いた旅人を優しく潤す恵みの水が同時に実りをもたらす肥沃な土砂を運んでくる代償に牙を剥き、一気に押し寄せ全てを押し流す洪水から田畑を守り、家を守り、命を守るために身を寄せ村落を造り、必死に堤防を築き必死に囲った運命共同体を輪中と呼び、大小夥しい輪中と島が迷路のような入り組んだ水路で結ばれいつしか要害の地「川内」になっていた。
その川内の中心、七つの輪中からなる長島輪中の北の端に、宗祖親鸞から数えて第八代蓮如の六男蓮淳が文亀元年(1501)開基した浄土真宗本願寺の一家衆寺院願証寺の甍が聳え、沈滞していた本願寺派を再生且つ驚異的に増殖させながら自身も、八十四年の生涯で死別するつど娶った五人の正妻に二十七人もの子を産ませた怪物蓮如の干天に慈雨のごとき「お文」をかざし、同じ浄土教の一宗派時衆の色濃い川内を一向色に染め、今や尾張から北伊勢、三河、美濃にまで広く影響力を及ぼす願証寺が保障する流通の魅力に多種多様な商人や職人が集まり、喧しい寺内町の賑わいからやや外れた一画に建つ元百姓屋に手を加え居を構えた若い夫婦が十八歳の内藤冶重郎と十五歳のお小夜だった。
生活は結婚祝いに信秀から贈られた知行地からの上がりで余るがナリワイとして近くに耕地を借り体裁を整え、さして筆が立つわけではない冶重郎だが(代筆請負)の看板を出し、お小夜も伝手を頼り願証寺の手伝いに入っていた。
甍が立って五十年足らず、いつしか本願寺領の感がある川内の守りは古くからこの付近に勢力を持つ豪族服部党の服部水軍と伊勢湾の最前線大島砦の大島水軍を中心に要所に築いた砦を門徒勢と地侍が固めまわりの干渉をまったく寄せ付けない。そのおかげで安全で通行税も無いので艪を操り気楽に輪中を巡り島々を訪ねるのが楽しみな冶重郎。気が向けば(講)に顔を出し聞くお説教も貢納額も穏やかな上、所属する(惣)に納める年貢がほとんど不満の無い高で済んでいるのは誰でも受け入れ成長し続けているからだと推測出来るがそれ以上に感心するのが雰囲気のよさ。百姓でも地役人でも偉い坊主でも乞食でも非人でも遊女でも、はたまた時折おこる輪中と輪中の争いが大事に至らないのも、阿弥陀如来の前ではみんな同じだと信じているからに違いないと思っている冶重郎。
三年経ったころ【武門と宗門】この両者は並び立つのか? 尾張にも浸透著しく北陸方面の嵐も十分承知している信秀に問われ、(利がある方に傾くのが人の常)と適当な返事を出してふと、俺をお小夜と結婚させ、イクサ続きの尾張からカヤの外の川内に追い出し知行地まで与えたのは俺のためではなくお小夜のために違いないと思った。
そこで七年過ごす間に流れてきた川の民や山の民が家の周りにも続々と住み着き、斜め前に(丸に六の字が入った腹掛けを付けた男が出入りする)鍛冶屋も出来、代筆屋も適度に繁盛してカヤの外の居心地かよくなってきた夏五月の夕近く。今年は雨が少ないなと思いながら此処に来て覚えた包丁を使い、胡瓜の酢の物と頂き物のボラを捌いていてふと朝出かけるとき見せたお小夜の笑顔が初めて会った時のように可愛かったのを思い出し、涼しい川辺で一緒に折りを広げたくなった冶重郎は握り飯を握った。
折箱を包んだ風呂敷を手に願証寺の裏門をくぐり勝手口から入った庫裏。広い台所の奥の小部屋から聞こえるくぐもった声。板戸の隙間からお小夜らしい女が坊主頭の男に組み敷かれているのが見え、踏み込もうとしたら上になったので踵を返した。それから二ヵ月後に身ごもったことが分かったお小夜は出産のためと言って在所のある森島に帰ったが冬に入り流産したと報せが来た。
男としてどう対応していいか分からないまま次の年三月、在所から戻ったお小夜が長島城辺りの水路が詳しく描かれている一枚の地図を冶重郎の前に置いた。
「あなたは川の向こうの人、それを手土産にお帰りください」
そしてその夜、別れの肌を合わせて言った。
「もし、赤ちゃんが出来て女の子だったら、ハナコと名付けます」
あざやかな新緑に負けない爽やかなお小夜の笑顔に見送られ、二十七歳になった内藤冶重郎が一人で川を渡った。
■
天文十九年(1549)夏四月末。
内藤冶重郎がお小夜の笑顔に見送られ一人で川を渡ってから一ヶ月。
九年ぶりに会った吉法師、
いや元服した三郎信長のうつけ者と噂される格好。
特に冶重郎の目を引いたのが天を突く異形の茶筅髷。
ぼろほろの着物を荒縄で結び、十七歳になった少年の見るからに俊敏そうな体から発散する体臭が手綱を引いて近づいてくる馬と一体化し、やるときは徹底的にやる雰囲気に狂気めいた凄みがあった。
「邪魔っ気なその茶筅髷、切ったらどうです」
と冶重郎が言ったら、大人の声に変わった少年が、
「邪魔に見えるものほど必要なのだ」と言ったので、
変わったのは声だけではないなと九年の歳月に感心した冶重郎。
身近で見る少年の優しさは九年たっても健在だが、一生ついて回るであろう根にある真っ直ぐな性格の鬱陶しさも変わらず感じた冶重郎。
「お元気そうでなによりです」
と当たり障りの無い挨拶をした冶重郎。
「木曽川を渡ったぞ馬で!」
と勢い込んで込んで信長が言った。
「ほおっいつどこで?」
と気の無い返事をした冶重郎。
「おととしの夏あの場所で」信長の声が小さくなった。
「おととしの夏?旱魃の年だ。ははあっ、水の量は少なく勢いも緩かった。だが渡ったことに違いはない大したものです」と冶重郎が言った。
九年経っても褒められているのか茶化されているのか分からない冶重郎の変わらなさに、なるほど人は変わらないものだと逆に感心した信長。
鼻息荒く嘶いた黒竜の足が対岸の川底を蹴ったと感じた時のホッとした安堵と、川中で怖くなり戻ろうかとも思ったが此処まで来たら往くも戻るも同じことと腹をくくり、恐怖に打ち勝った喜びを思い出し、とにかく渡ったと胸を張った信長。
「お春も一緒に?」
と訊く冶重郎に信長の茶筅髷が揺れた。
「お春はもうオレの馬に乗らなくなった。冶重郎が川を渡った九年前から……」
と不満顔が言い、薄紅色の狂気がフツッと覗いた。
それを受け流し
「とにかく川内の様子を伝えておきます」
と言う冶重郎に、
「川内の様子をいまオレが知る必要があるのか?」
と興味なさそうに信長が言った。
「川内と事が起きるのはまだ先のこと、三郎の仕事になるから」と治重郎
「おやじはまだ若いのにそんなに先の話なのか?」と信長
「川内のことよりむしろ遅れている結婚のことを気にされていた」と治重郎
「結婚はどうでもいいのだオレは」
と人ごとのように言った信長。
「なるほど。しかし未だ割拠している尾張の状況を考え、弾正忠家のことを考えて兄貴が決めたこと。三郎さまの気持ちは斟酌外」
と素っ気なく言った冶重郎。
「それはそうだが……」
と言って横を向いた信長。
「話しをまとめた平手中務殿がなんでかわからないが怪しいことに。はっきりしない式のこともあわせ、なにも分からないわたしに(お前ちょっと行って様子をみてこい)と言われ美濃にーー」
川内から帰ったばかりなのに行って来たという治重郎。
ふーんそれでと
「何が分かったのだ美濃まで行って?」
と相変わらず興味がなさそうな信長にかまわず
分かったのはとちょっともったいぶって「美濃を流れる三本の大河の行き着く先はいずれも川内だという分かりきったことと、双子の娘が二人とも京に行ったので結婚は来春と云うのんびりした話だけだった」と治重郎
「ほおう京へ……何をしに?」とちょっと興味を示した信長。
「さあっ」と首をかしげた冶重郎。
「双子の姉妹のうち一人の目が不自由という噂は本当だったのか?」
と訊く信長。
「そのようで」と頷いた冶重郎。
分かったことは他にもいろいろあったが美濃のことは伝えなくてもまあいいかと思った冶重郎が伝えなければならないのは川内。
「隠し砦のような遊び場を川内に造ったらおもしろいのだが」と治重郎
「隠し砦のような?必要になるのかこの先」と信長
「先のことは分かりませんが造るなら津島の対岸立田輪中の南の端、小木江の辺りがよろしいかと」と言う冶重郎に、
「面白そうだやってみよう早いうち、小木江のあたりだな。いずれにせよ長島には前から行きたいと思っていた」と信長が言った。
と笑いながら冶重郎が言った。
「聞くところ、願証寺の寺内町には尾張や桑名など近隣だけでなく伊勢や美濃あるいは三河など遠方からも人が訪れ賑わっているらしいが、それも本願寺の力なのか?」と信長か確認するように治重郎に聞いた
「力というより魅力。見世物や芝居の小屋が立ち並び遊女も居る」
と治重郎
「遊女なら熱田にも津島にも居るし、小屋も賑わっている」
と信長
「それはその通りですが・・・・・・わたしの感じた今の川内は正直言って尾張より住みやすい」と治重郎
「ほおっ、尾張より住みやすいのだ川内は。その訳わ?」
と言う信長に治重郎が言う
「第一にイクサが無い。第二に流通の障害が無い。この二点は今でも変わらないが、第三の阿弥陀仏の前ではみんな同じという従来からあった極楽往生の保証がこれから問題になりそうだ」
「第一にイクサがないことか、尾張はイクサ続きだからな」
という信長に治重郎がさらにいう
「農兵でもある百姓衆は頻繁に縄張り争いに駆り出され、殺しあい略奪しあうのが習いになり農作業は手に付かず耕地は荒れ放題で貧しさが蔓延。今の尾張はまだ他国に比べましだがそれでも…川内にはそれが無い」
農兵ではない手勢をつくればいいのだと呟いた信長が訊いた。
「とにかくイクサをなくすのが肝心なのだ。二番目は分かるが問題は三番目。死んだら極楽浄土に生まれ変われるという往生を、真宗の門徒は本当に信じているのか?」
「三郎さまもわたしも飢えを知らない。餓えのため人肉を喰らうような凄惨な世になろうとも人は、正気を保ち生き続けるためあらゆる仏形をかきむしり耐えてきた。とりわけ僧法然が唐からもたらした浄土教の教えに頼る川内の衆徒は、往生を信じる前に阿弥陀如来の前ではみんな同じだとひたすら信じてきた。しかし」
「しかし?」
「浄土教の一宗派真宗本願寺が川内に浸透し、いつのまにか生き仏になった本願寺法主が阿弥陀如来と入れ替わり、(往生の保障を人質に)生殺与奪の札をかざして門徒を操り、ひたすら」弥陀如来を拝んできた今までの信仰生活が一変しまうのが心配だ。しかし本分を超えない限りそれを咎め宗門と対決することは武門の役目ではない。神仏の陰に隠れて人の生き血を吸う卑劣なやからは自浄されるべきだし出来ない筈は無い」
歯切れの悪い冶重郎を困らせてやりたくなった信長。
「真宗の張本人親鸞の真骨頂という(善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや)意味を考えてみたが、冶重郎は分かるか?」
「なかなか」と首を振った冶重郎に、「三郎さまはお分かりで?」
と逆に訊ねられ聞いた話しだがと前置きした信長。
「人は人として此の世に生まれたときから否応なしに引き受けなければならない役が決まっていると云う話。単純に言えばお前は善人の役、お前は悪人の役と決まっていて、善人役で天寿を全うする一生より悪人役で罰を受ける一生のほうがしんどいだろと云う話」
ともっともらしいことを言って横を向いた信長。
眉に唾した冶重郎が、
「お春はどうしています」と思い出したように訊ねた。
「お春は去年、尾張氏の息子と結婚して熱田にいる」
と信長が答えたのが天文十九年(1550)四月末ごろのことだった。