岐阜城

永禄十二年(1569)九月初め。

信長に呼び出された三人のうち体調が悪いという千代を措いて新六郎と華子が岐阜に向かった。「お千代さん大丈夫かしら」と馬上で配そうな華子に、「仮病ですよ」と笑った新六郎。「仮病? なぜ仮病って分かるの」と首をかしげた華子に、「なんとなく」と言って上の城に登ったのが九月に入ったのに暑い日だった。

生まれて一度も山というものに上ったことが無かった華子。加減がわからず勇んで上り始めたがたちまち汗をだらだら流し、息を切らして口も利けずにやっと上ったお城の風通しはいい広間に座り込み、これ見よがしに襟元をちょっと広げ汗に輝く首筋を拭いている華子。

「内藤冶重郎殿の娘御で華子さん」と光秀に紹介されたがすでに、新六郎の元服のとき父冶重郎に紹介されていたので馴れ馴れしくお辞儀をした華子が、「なぜ、こんな高い所にお城を造らなければいけないのですか?」と不満をもらし、これならとばかりあからさまに襟元を広げて風を送りながらチラッと流した視線を受け、留めた信長が眸を碧く輝かせ新六郎に訊いた。

「母御の具合が悪いらしいが見舞いが必要な程か新六郎」

「三郎さまが案ずるほどのことではございません」

仮病ですよとは言わなかった新六郎に肯き、「それならいいが」と言って眸を黒く変えて華子を見た信長が目を移し、「京え行って異国の言葉を学べ」と新六郎に言った。

「異国?何処の異国ですか」と首をかしげた新六郎。

バテレンの国だ。細川藤考の口ぞえで儒家の清原家に逗留することにした。細かいことは光秀に聞け。言葉のほかに彼の国の文化も学べ、特に黄金の免罪符について」

「ブンカ? オウゴンノメンザイフ? 母上と華子さんも一緒に?」

文化の意味さえも定かでない新六郎が光秀を窺うと笑っていた。

「そうだ三人で」と言って肯いた信長がそれには興味がなさそうにそっぽを向いて襟元を閉じた華子を、「長島が見えるから」と物見櫓に誘った。

「城はイクサをする所、町は生活をする所。この国では別れている」

と物見櫓の上で懐に抱かれて言われた三郎信長の声が耳元でこだまし、汗臭いのを気にしていた華子はやがてぼうっとして膝の力が抜けてしまった。

朦朧とした華子の目に長島は見えなかったが閉じた目に源真寺の陽だまりが見え、祖父の膝に抱かれて聞いた、(文化の文は模様で化は変わることだよ)意味は分からなかったが幼い心に沁みた言葉を飛び飛びに思い出した。

『人が生き続けるために必要なモノを文化と言うのだ。形のあるモノも無いモノも、良いと言われるモノも悪いと言われるモノも全部ひっくるめ、華子が其の時々に生きるために必要なモノが華子の文化なのだよ。――普遍的な文化である宗教や芸術はいずれも糞詰まった社会に耐えられなくなった個人が捻り出した排泄物だが、後世に残る宗教や芸術は生きにくい厳しい社会からのみ生まれるのだ。平穏な社会からは決して生まれない何故なら必要がないから』と言って笑った祖父の顔が人取りも文化なのだと呟いて曇った。

下りる途中ひとり上がってきた前髪姿の奇妙丸とすれ違った。「やあっ」と言って汗も曇りもない笑顔を二人に見せ、スタスタと上って行った。