2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧

競歩 永禄十年(1567)九月十六日。 小谷の早朝。 気持ちいい冷気のなかわき目も振らず早足で歩いているお市の方。 もともと肥える体質なのに産後の肥立ちも順調でひねもすぼうっとしていたら、「ご立派なお体になられて」とお徳に嫌味を言われその気になっ…

自壊 永禄十一年(1568)一月一日。 去年とうってかわって雪は無いが春とはいえまだ寒い元旦。 ここが田屋市之介の屋敷で大晦日の晩から来ていたのだとお徳が思い出したのは新六郎の行ってらっしゃいという顔が浮かんだからだが市之介の若い肌に触れながら春…

北国街道① 永禄十一年(1568)春二月十日。 明け六つ。一乗谷に総勢二十五人が姫屋敷の前に顔を揃えた。 早朝にもかかわらず見送りに姿を見せた久政。 留守居のお香に抱かれて眠っている茶々姫をチラッと見た久政が、 「娘より一乗谷か」と言ったので微笑ん…

一乗谷① 永禄十一年(1568)春二月十四日明け六つ半。 一乗谷を目指して西光寺を発つ。 進むにつれ鮮やかさを増す桜花に、市之介はだんだん憂鬱になり、光秀はいよいよと張り切り、お菊は馬上で揚々と胸を張った。 辺りを見渡した治重郎。 満開の花びらの一…

一乗谷② 永禄十一年(1568)初夏四月。 《嵐が去って一乗谷の(時)が止まった》 挽かれた姥桜に重なり抱き合って倒れている二人を浄真寺に運んだ 医者は呼んだが役に立たず、 怪しげな結界に包まれ息はしているが一乗谷の桜がすっかり散っても結界の霊気は…

朝倉館① 永禄11年(1568)夏4月 本願寺との和解が定まった今では何かと金の掛かる義昭公を追い出したい朝倉館の思惑や光秀の苛立ちはともかく、 お徳を此処にこの状態で置いていく気はさらさら無い治重郎が気になるのは嫡子を亡くしたと噂される朝倉義景の暴走…

聖徳寺① 永禄十一年(1568)秋八月。 尾張の北西木曽川の支流領内川沿い富田に寺内町が広がり、橋で結んだ対岸に伽藍と塔頭が立ち並ぶ広大な真宗聖徳寺。 その聖徳寺の南の外れ、石垣で囲まれた二棟の建物。 その二棟の建物を隔てる渡り廊下の下を流れる疏水…

墨俣① 永禄十一年(1568)秋九月に入りほどないころ。 女は(益田内膳)を訪ねさ迷っていた。 記憶は途絶え自分が誰で何処から来て何処に行こうとしているのかも分からなかったがなぜか懐にあったまだ日に焼けていない一枚の白い懐紙に記されていた名前(益…

長良川① 永禄十一年(1568)秋九月に入ってしばらくしたころ。 三郎信長が京に発つと決心したので川内に行くことにした内藤冶重郎が頭の中に持ち帰った川内の図を信長に渡したのは万一のことを思ったからだった。 艪を漕ぎながら輪中と島を巡り、その日のう…

川内① 永禄十一年(1568)秋九月二十六日、朝。 源次郎の船で長良川を下る治重郎。 去年、稲葉山で意地を通した若い斉藤龍興に道を開け、川内に落ちるのを信長と見送った長良川は墨俣辺りで木曽川と合流し、川内に掛かる手前で再び分流する。船は木曽川の速…

川内② 再び九月二十六日。夕刻。 こまった筋書きになった小六とお徳とのことを世間話のように話しているうちに窺っていた風が玄関から奥の縁に通り抜け、日が落ちる前に華子が帰ってきた。 「ただいま」と言って玄関に入った華子が、「お帰り」と言って迎え…

森島① 永禄十一年(1568)九月二十七日。 森島にあるお小夜の在所源真寺の住職偏空和尚と会うのは二度目だった。 信秀の怒りを買い森島に逃げ、源真寺で所帯をもった若い夫婦が偏空こと服部一太郎と鶴女だった。 怒ってはみたが腹違いの妹を心配する信秀の思い…

墨俣② 永禄十一年(1568)十月十八日、足利義昭に征夷大将軍の宣下が下る。 入京した織田軍が三好三人衆とそれに組して敵対する勢力を池田城まで追い、機内の大部分を制圧。目出度く第十五代足利将軍になった義昭公の御座をとりあえず六条本圀寺に置き、十月末…

墨俣④ 永禄十二年(1569)正月一日。 ズドーンッ、ズドーンッ、ズドーンッ。馬小屋の前で三発の荒き音が響き、新年の祝いもかねて撃った三丁の新しい火縄銃の筒口から煙が燻っている。衝撃の手ごたえとツンザク轟音に興奮を隠せない華子が叫んだ。 「当たっ…

石山本願寺① 永禄十二年(1569)一月初め。 数えで二十七歳になった本願寺十一世顕如は腹を立てていた。 前の年、足利義昭を奉じて入京した織田信長がわが本願寺に五千貫もの矢銭を要求してきた。大金だが世の安定は望む所なので上洛のお祝いにと払っただけ…

川内③ 永禄十二年(1569)夏閏五月。 明け始めた長島の朝を源次郎の船に乗ってゆったり揺られている冶重郎。 「穏やかな朝だな、源次郎」 「まったく、この穏やかさが何時までも続けばよいのですが」 五月の末には行くと源真寺のお小夜に知らせたら、お父さ…