2022-01-01から1年間の記事一覧

聖徳寺② 永禄十二年(1569)秋八月一日。 お膳を前に縁に座った山本佐内。この一年で歯の大半が抜け落ち碌々噛めなくなったのを胃の腑が補い喉越しを味わうことを覚えた。絶っていた酒を飲み始めたのは再三現われあれこれ言い訳がましい道三のもっともらしい…

岐阜城① 永禄十二年(1569)九月初め。 信長に呼び出された三人のうち体調が悪いという千代を措いて新六郎と華子が岐阜に向かった。「お千代さん大丈夫かしら」と馬上で配そうな華子に、「仮病ですよ」と笑った新六郎。「仮病? なぜ仮病って分かるの」と首…

二条館② 永禄十二年(1569)冬十月初め。 三郎信長の目を初めてまともに見たお菊。 二条館の客間の前で伏して信長を迎えたお菊に、「お菊か顔を上げよ」と信長が初めて声を掛けた。ハイと仰ぎ見たお菊の目が三郎信長の目と合い、(ああっ男たらしなのだ)と…

姫屋敷② 永禄十二年(1569)冬十月十九日。 「お菊殿が在所に帰っているようですねお香、どうしたのです」 「うわさでは公方様と喧嘩したとか」 「公方様と喧嘩したのは兄上でしょうお福、お菊どのもですか?それなら兄上が喧嘩した理由を知っているかも。手…

禁裏① まさかそんなことはありえないと思ったことが信じられない早さでお菊のもとまで伝えられたのは岐阜から京に駆けお上に懇請したのが信長自身だったから。 永禄十二年(1569)冬十月二十一日。 「まえぶれも無く来るのは以前と同じ、イラチなそこもとら…

二条館③ 岐阜に早馬を出してからそれこそ電光のように伝令が飛び交い信じられないが半月後に迎えの書状が緒上に届き即小谷に。その早さに驚きながら準備万端堅田衆が用意した自慢の速舟を連ね、比良の頂に輝く雪を眺めながら坂本まで琵琶湖を一気に縦断。ぬ…

黄金の免罪符③ 永禄十二年(1569)十一月初め。 墨俣から上京して半月程たった清原邸。京見物も紅葉見物も一通りすませ、京の底冷えを感じながら宛がわれた離れの居間でのんびりとお茶を飲んでいる三人。 この朝突然奇妙丸が訪ねてきた。「親父殿が京え行く…

墨俣⑤ 永禄十二年(1569)大晦日。 閏年で一年が十三ヶ月のこの年も暮れようとしていた。 正月は墨俣で過ごしたい三人。それぞれの思いで関が原も無事に越え、小六の屋敷の冠木門からそろって元気に「ただいま」と言った。 迎えに出た内膳夫妻に笑顔で会釈し…

岐阜城➁ 永禄十三年(1570)一月一日。 二度目の山登りも息を切らせている華子がようやく辿り着いた信長の居間。 額に汗を浮かべている華子。奇妙丸がいたので、この前信長にしたのと同じように襟元を広げ風を送りながら、「なんでこんな高い所にお城がある…

二条館④ 永禄十三年(1570)正月二日。 暮れに入京して妙覚寺に泊まっていた村井貞勝と内藤冶重郎と明智光秀の三人が松の内には誰にも会わないはずの将軍義昭を訪ね二条の館に早朝現われた。 早く来たつもりだが先客が居て待たされ寒いなと口々にぼやいてい…

聖徳寺③ 直ぐ戻る約束だったのに帰るのが遅れてしまい、一人留守番をさせられ不機嫌に違いない長政に折檻されたら可哀想だと思ったお市の方が「小谷に遊びにいらっしゃい」と言ってあのあと早々に、お豊をつれ市之介の一行と帰ることにしたので他の女達も残…

石山本願寺② 永禄十三年(1570)春二月。 本願寺十一世顕如の嫡男茶々丸が数えで十三歳になったのを期に、迷いの此岸から悟りの彼岸に渡る「度」を得るため得度の儀が石山本願寺の本堂でおこなわれた。 剃刀を茶々丸の額に当てた顕如が是生滅法偈陀を唱え、 …

姫屋敷③ 藤川に泊まった次の日。坂田郡にあり、織田家から花嫁を迎えることに反対していた江北一向衆の中心、福田寺に不穏な動きがあるから護衛してきたと言う部隊は姉川を越えることはなく、一行を見送った曇り空の川沿いを一見散策のように散開していた。 …

禁裏② 永禄十三年(1570)三月一日。 前日上京した織田弾正忠信長は畠山氏らの大名を伴い将軍義昭を二条舘に伺候。その後妙覚寺で昼食を取り午後、衣冠指貫姿で参内して誠仁親王に初の見参。正親町天皇心づくしの宴に杯を傾け相伴する多くの公家衆の姿があっ…

石山本願寺③ 永禄十三年(1570)初夏四月三日。 本堂を震わせ喉の調子は悪くないなと思いながら朝の勤行を済ませた顕如が、「五重塔をつくる」と口走った唐突さにまたかという顔をした下間頼照。 本来なら落ち着きのある性格のはずの十一世本願寺顕如が、時…

二条舘⑤ 永禄十三年(一五七〇)夏四月二十一日。 昨夜から降っていた雨がやんで開けられた全ての蔀戸から風が♪ 「木々の緑が雨に洗われてきれいだ」と外を見た義昭が言った。 「本当に! 心が洗われるようです」と義昭と同じ目線で外を見ながらお菊が言った…

永禄十三年(1570)四月二十三日に元亀と改元される 陣中見舞い 元亀元年(1570)夏四月二十三日。 お菊から三万の軍勢と報せがあった時には一乗谷に攻め入るかと思ったがその後、誓願寺からの知らせでは総勢五千人程に過ぎないらしく、琵琶湖の西を通り和邇と…

聖徳寺④ 元亀元年(1570)五月五日。 新たな年号を共に祝いましょうと、改元にかこつけたとしか思えない帰蝶に去年の八月以来久しぶりに聖徳寺に呼ばれた冶重郎は、始まった梅雨空のように鬱陶しいなと思いながらも内心、かつての高飛車なしわがれ声が懐かし…

二条舘⑥ 元亀元年(1570年)五月八日。 例年通り梅雨が始まっていた。伏して迎えた顔をこわごわ上げたお菊の目が、見下ろす三郎信長の目と合い、あっと声を上げそうになったがかろうじて飲み込んだ。 「お菊かごくろう。これからも義昭公にはげめ」 と言う意…

墨俣⑥ 元亀元年(1570年)五月半ば。 京より二日遅れで梅雨が始まっていた。浅井長政のバカさ加減にあきれた内藤冶重郎が気分転換に小六の屋敷を訪れ、火の無い囲炉裏でお徳と世間話をしていた。 「奥の方が何を血迷ったのか華子と仙千代どのを急いで一緒に…

姉川② 元亀元年(1570)晩夏六月二十八日。 浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍が姉川で会戦し織田・徳川連合軍が勝利した。 岐阜城② 元亀元年(1570)初秋七月十五日。 将軍義昭を二条館に訪ね、姉川の戦勝報告をして京から戻った信長が久しぶりに京を離れ…

小谷城③ 元亀元年(1570)秋八月二日 姉川の合戦以来夫長政は上の城に移ったが、下の姫屋敷に居座っているお市の方。 今日が二日なのだと気付いて山登りを思い出した。四歳になる茶々姫の手をひいたお福と、二歳の次女初姫を背負った吾助を連れて物見櫓に上…

石山本願寺④ 元亀元年(一五七〇)秋九月十二日。 信長は確かに七十日程で二条館を造ったが、土台を据え木組みも他の材料も何もかも揃えてからの七十日なのだ。それに比べ、いちから準備して五ヶ月で出来たのは上々といえる五重塔の天辺に上った本願寺十一世…

比叡山① 脅すような書簡を送った覚えも口にした覚えもないのに突然攻撃する本願寺に吃驚した信長をさらに驚かせた報せ、浅井・朝倉連合軍の進攻は分かっていたが湖西の要衝、宇佐山城守将森可成(十四年前稲生で共に戦った怙臣)の戦死にうろたえた。 元亀元…

降誕祭① 元亀元年(1570)十一月二六日。 本邦の暦で元亀元年十一月二十七日がユリウス暦の十二月二十五日に当たり、キリスト教にとって大事な催しの一つ、救世主イエスキリストの誕生を祝う降誕祭が姥柳町の教会堂でおこなわれ、参加した新六郎は暦の重要性…

元亀二年(1571) 春二月。 自分が生んだ、のどのつぶれた赤子が潮に引かれ、迷路のような水路をゆらゆらと流れていく光景に憧れていた川内の子華子は無事男児を出産した。 秋九月。 織田勢が比叡山延暦寺とその門前町坂本を焼き討つ。 同じ頃。 紫宸殿をは…

岐阜城③ 元亀三年(1572)正月二日。 病と称し年賀の挨拶を受け付けない信長は岐阜城の客間で、柴田勝家と木下秀吉と明智光秀と徳川家康と前田利家の五人に加えて内藤冶重郎を前に脇息にもたれていた。 常に前線で戦っているこの顔ぶれが揃うのは正月でも珍…

元亀三年(1572)秋八月。 江北に出兵した陣から密かに離れ京に入った信長は、外冦の脅威で共鳴する将軍義昭を二条館に訪ねた。迎えに出たお菊が避ける三郎信長の目を追い、「お久しぶりです」と言いもって無理やり合わせた目が、一度でいいから肌を合わせた…

伊勢長島① 天正二年(1574)九月。 九鬼嘉隆勢を中心とする水軍に援護された織田軍は積年の恨みを果すべく、憎くき長島門徒勢に総攻撃をかけ、長島・中江・屋長島の三城に追い詰めた。 「無益な殺傷はしたくない」という元服して優れた能力を発揮し始めた信…