森島①

永禄十一年(1568)九月二十七日。

森島にあるお小夜の在所源真寺の住職偏空和尚と会うのは二度目だった。

信秀の怒りを買い森島に逃げ、源真寺で所帯をもった若い夫婦が偏空こと服部一太郎と鶴女だった。

怒ってはみたが腹違いの妹を心配する信秀の思いを察した冶重郎の父主馬が密かに何度も訪れ、何くれと無く世話をした顛末は聞いたことがあった。

「櫓が目の前に見える。こんなに近かったとは……」と冶重郎が言った。

「もうなれた。無くなったらさびしくなる」と偏空和尚が言った。

「取り壊すように進言してみます」と冶重郎が言うと、

「無くなっても緊張が薄れるわけではない。本願寺に向けるべき怒りを織田憎さにすり替えている。守将が弾正忠殿の弟なのでことさら憎悪をあおってはいるが……」と偏空和尚が言った。

「小木江は尾張の一部だから安心して弟を……」と治重郎が言うと

「相変わらず甘いな、その甘さが命取りにならなければいいがもっともと言いさらに「もっともその甘さが人を惹きつけるとも言えるが……久しぶりで長島の変わりように驚いているだろう」と偏空和尚が言った

「想像以上。舅どのが見て一番の原因はなんですか?」と治重郎

阿弥陀如来の前ではみな同じという長い長い夢が覚めたのだ。遅かれ早かれ夢は覚めるものだが覚めていささか朦朧としている」と偏空和尚

「覚めたくない夢が覚めてしまった!」

「ここの中洲は島でもなく普通の大地とも違う夢の空間」と偏空和尚

「夢の空間で念仏踊りを三百年もの間踊っていたと言われる」

「踊っていれば自分を忘れることが出来る。誰でも自分を忘れているときが一番幸せなのだから……吾を忘れて踊っていたのに阿弥陀如来がいなくなって吾に返ったのだ」と偏空和尚

「夢が覚めた反動で蓮如の御文に踊らされている?」

「何かに縋りたがるのが人の常で蓮如の御文は確かに人を惹き付ける。日陰の女に生まれた蓮如が嫡妻の子応玄との後継者争いに勝ったのは有力寺院に支持されたからだ。すったもんだのすえ長禄元年(1457)四十二歳で八代目門主に就いた時、財産は皆無で東山大谷の本坊を訪れる信者はほとんど無く食べる物にもこと欠く始末、という偽りの状況をそのとき誰が何のために喧伝したのかは措いて、諸宗派をつぶさに調べるうち、同じ浄土教から生まれた一遍上人の時衆に啓発され寛正二年(一四六一)蓮如四十六歳のとき発した第一号の御文は、(ひたすら拝めば如来さまのお心で誰でも幸せになれる)という意味のことを言っているので分かり易く行い易い。確かに最初の頃の御文は親鸞上人の教えを正しく伝えているがいつまでも無念の心で踊るのは難しい。稀代の伝道師蓮如の顕わになった嗜好は偶像を嫌う親鸞上人の教えから急速に離れていったのだ」と偏空和尚

「年貢が上がって暮らせなくなったところに、現世利益の教え?」

「年貢が上がった遠因は耕作地が開墾され栽培技術もあがって収入が増え、交易も盛んになりいささかの余裕が出来てそれを獲り合う時代になったからともいえる」

と偏空和尚が言うとなるほどと冶重郎。

「年貢のことは措いて、いささかの余裕が戦乱の世をつくったと舅殿は言われる?」と冶重郎が言うとそうだと偏空和尚。

「庶民が財を貯める余裕ができたことがイクサを多発させたといえる。一握りの土地をせめぎあう曲がりくねった畦道が象徴するように小競り合いが増幅し、皇室や貴族を始め延暦寺興福寺に代表される寺社等の荘園領主の荘園を食って大名にのし上がった武家に倣い新興の宗門までが荘園に群がり、負けじと宗門の逸れ者と結びついた在家の用心棒とも言える国人や豪族があちこちで暴れだし大騒動になっているのが今時のいうたら用心棒の縄張り争いだが度が過ぎ、百姓はおちおちと農作業をやっておれなくなった。そのせいで、農作物の生産高が急激に落ち込みこの国全体が貧しくなってしまったのだ」と

財がイクサを多発させ坊主を嗜好に誘ったと理解した治重郎が

「ところでいま川内の門徒はどれ位の割りですか?」と言うと

「付き合いで阿弥陀如来を拝んでいる在家は多いが真からの門徒はせいぜい三分程度」と

「それでも本願寺が支配しているのが権力と云うものの謎!」と冶重郎

「というより支配されたがる人の心の謎なのだが……」と呟いた和尚が言った。

親鸞廟の留守職にすぎず、直系なのに傍系の諸派から軽く扱われていた大谷家を親鸞教の宗主とする野心が三代伝持説を持ち出し、人は人がつくった集団でしか生きられないことを承知の上でなお個人の尊厳を謳い、栄華と権威を嫌ったと思われる親鸞上人を開祖に据え、本願寺の寺号を大谷廟に掲げ浄土真宗という親鸞教団をつくった実践家覚如親鸞から数えて三代目の外曾孫だが、その血を隔世遺伝的に色濃く引く蓮如はのちに生き仏を生み出す素地をつくるほどそのあたりの仕組みは熟知していたかもしれない」

親鸞聖人の人となりに引っかかりなから肯いた冶重郎がなにげなく聞いた。

「失礼ながら舅どのは往生を信じておられますか」

「もちろん信じている」当然だと笑った偏空和尚が言った

「善人でも悪人でも阿弥陀如来の前ではみんな同じだから望めば誰でも極楽浄土に生まれ変われる。ただし人には生まれ変われない。生まれ変われるのは人以外のものだ。なにしろ極楽浄土は時間や煩悩が無いところだから人の居場所が無い」

「ほおっ面白いご意見」と感心しながら眉に唾を付けた冶重郎。

「それが本当なら大変な思惑違い、門徒衆が知れば浄土への憧れが無くなるのでは?」

と正直な思いを言って首をかしげた冶重郎。

「分かっているのだそれくらいは。分かっていて拝んでいるしたたかさと、宗教でも風習でも何でも受け入れ消化してしまう融通無碍な大らかさと、あとは野となれ山となれという、無責任さも狡さも曖昧にしてしまう好い加減さがこの国の百姓にはある」

と面白そうに笑った偏空和尚が一転吐き捨てるように言った。

「百姓を蔑し、自尊心だけが肥大化した茶坊主どもは、机上でよがる自慰行為で培養した浅知恵が人を悲惨な状態に追いやっていることなど思いもしないのだ」

いつもは冷静なのに、口角泡をとばし脱線するのが偏空和尚の若さの秘訣かもと思い苦笑した冶重郎が改めて眉に唾を付け、「

畏れ入りました」と言って話を変えた。

「ところで加賀では、運命共同体的な惣を構成する門徒衆と在家衆の連携を主体に、国人や豪族や地侍が加わり、中央権力の紛争にかまけ、過度の課役や重税を掛けた守護大名富樫政親の圧制を政教一致の名の下に打ち破り(百姓の持ちたる国)を百年もに渡って支配しているように見えますが、実際はどうなのですか」

と冶重郎が聞くと

「思惑違いなのが在家の百姓。大量の血を流した結果、荘園領主に収めていた年貢が本願寺に回っただけなのだ。このことがその後の本願寺の行く道を決めたともいえる」と偏空和尚

尾張も加賀のようになる恐れが?」と冶重郎

「ないだろう。周りの三河や美濃では頻発した騒ぎも此処は無い。番衆こそ石山に送っているが今迄如何なる時も尾張門徒は動かなかったしこれからも動かないだろう」と偏空和尚が言い

「何故? 豊かで信仰より生活第一の尾張だから?」

と冶重郎が聞くと 

「極端な貧富の差がないことだ。この国を、極端な貧富の差を生じさせ崩壊させようと企てる外冦がいる。それに便乗して甘い汁を吸おうとする輩や、同調しておのれの利益や権力欲をむさぼり、この国が崩壊するのに拍車をかける勢力がいる。そんな気はさらさら無いのに矢面に立たされた信長が率いる無縁の流れ者が中核をなす織田軍は縁で結ばれた宗門より、選り宗教的な峻厳さを具えているのかも知れない」と偏空和尚が言った

「まるで免罪符を否定する異教徒のように!」と冶重郎

「知っているのか免罪符のこと。来世と現世を担保に取ったような往生符と免罪符の根っこは同じかも! 神仏の教えを都合よく歪め、人の命に甘え、人の生き血をすすって肥大化した観念はどろっとした痰だ。痰壷も嫌がるどろどろの痰脳だ」

とまた吐き捨てた舅に冶重郎が訊きたかったのは川内の爆発? に肯いた偏空和尚が一転。

「すでに導火線に火が付き秘かに地を這っている。本来なら隠れた弥陀如来に刃を向けるのがマットウなのだが……夢の続きの念仏踊りを踊りながら圧縮された三百年の想いで沸騰した熱き血が伊勢の海を赤く染める筋書きは誰にも変えられないだろう」と言った

舅の淡々とした声に震え、三郎信長の狂気じみた体臭にむせた冶重郎が、「本願寺顕如はどんな男です?」と話しを変え前から気になっていることを訊いた。

「十二歳で継職した時すでに教理も宗務も精通していたほど賢いらしいが、十七歳のとき本願寺門跡になったのを生き仏なのに喜んでいるのはなにか訳があるのかも」と偏空和尚

門徒顕如が生き仏だと本当に信じているのですか?」と冶重郎。

門徒はともかく、本人は嫌がっている節がある」と舅。

「ほおっ、生き仏の身を嫌がっているのか顕如が……」と冶重郎。

「そのようだ。そうそう、喉が自慢で読経は得意なのだがその一方、妻女の如春尼殿は怖いらしい。いい加減な噂話ばかりで申し訳ないがそれはそれとして、今晩ここでお講のあとお斎と呼ばれる村の懇親会がある。今の川内の様子を知りたければ……」と偏空和尚

知りたいが、注目すべきは(生き仏か門跡か)受けついだものを悩み、読経が得意で妻女が怖い顕如に共感と親しみを覚えた冶重郎に舅の明るい声が聞こえた。

 

「お小夜と信秀どのとは三年の間親子の交わりだったのだ」

えっ親子の! 交わりだった? 聞き違えたのかと舅を見た。

「貴君は当然知っていただろうが母親の鶴女は信秀殿の腹違いの妹。川を渡って遊びに来たくらい仲の良い兄妹。お小夜が伯父と姪の関係なのをいつ知ったかはともかく、親子ともいえる三年間だったことを貴君になぜ言わないのかわしには分からない」と偏空和尚

「兄貴に見初められたと言っていたが……」

「最初わからなかったのだ。わかって、条件は信秀どのが出した」

なるほどと頷きはしたが親子の関係だったと知ったことをお小夜に言うべきか言わざるべきか悩ましくなった治重郎