阿弥陀如来

天文十九年(1549)夏四月末。

内藤冶重郎がお小夜の笑顔に見送られ一人で川を渡ってから一ヶ月。

九年ぶりに会った吉法師、

いや元服した三郎信長のうつけ者と噂される格好。

特に冶重郎の目を引いたのが天を突く異形の茶筅髷。

ぼろほろの着物を荒縄で結び、十七歳になった少年の見るからに俊敏そうな体から発散する体臭が手綱を引いて近づいてくる馬と一体化し、やるときは徹底的にやる雰囲気に狂気めいた凄みがあった。

 

「邪魔っ気なその茶筅髷、切ったらどうです」

と冶重郎が言ったら、大人の声に変わった少年が、

「邪魔に見えるものほど必要なのだ」と言ったので、

変わったのは声だけではないなと九年の歳月に感心した冶重郎。

身近で見る少年の優しさは九年たっても健在だが、一生ついて回るであろう根にある真っ直ぐな性格の鬱陶しさも変わらず感じた冶重郎。

「お元気そうでなによりです」

と当たり障りの無い挨拶をした冶重郎。

木曽川を渡ったぞ馬で!」

と勢い込んで込んで信長が言った。

「ほおっいつどこで?」

と気の無い返事をした冶重郎。

「おととしの夏あの場所で」信長の声が小さくなった。

「おととしの夏?旱魃の年だ。ははあっ、水の量は少なく勢いも緩かった。だが渡ったことに違いはない大したものです」と冶重郎が言った。

九年経っても褒められているのか茶化されているのか分からない冶重郎の変わらなさに、なるほど人は変わらないものだと逆に感心した信長。

 

鼻息荒く嘶いた黒竜の足が対岸の川底を蹴ったと感じた時のホッとした安堵と、川中で怖くなり戻ろうかとも思ったが此処まで来たら往くも戻るも同じことと腹をくくり、恐怖に打ち勝った喜びを思い出し、とにかく渡ったと胸を張った信長。

「お春も一緒に?」

と訊く冶重郎に信長の茶筅髷が揺れた。

「お春はもうオレの馬に乗らなくなった。冶重郎が川を渡った九年前から……」

と不満顔が言い、薄紅色の狂気がフツッと覗いた。

それを受け流し

「とにかく川内の様子を伝えておきます」

と言う冶重郎に、

「川内の様子をいまオレが知る必要があるのか?」

と興味なさそうに信長が言った。

「川内と事が起きるのはまだ先のこと、三郎の仕事になるから」と治重郎

「おやじはまだ若いのにそんなに先の話なのか?」と信長

「川内のことよりむしろ遅れている結婚のことを気にされていた」と治重郎

「結婚はどうでもいいのだオレは」

と人ごとのように言った信長。

「なるほど。しかし未だ割拠している尾張の状況を考え、弾正忠家のことを考えて兄貴が決めたこと。三郎さまの気持ちは斟酌外」

と素っ気なく言った冶重郎。

「それはそうだが……」

と言って横を向いた信長。

「話しをまとめた平手中務殿がなんでかわからないが怪しいことに。はっきりしない式のこともあわせ、なにも分からないわたしに(お前ちょっと行って様子をみてこい)と言われ美濃にーー」

川内から帰ったばかりなのに行って来たという治重郎。

ふーんそれでと

「何が分かったのだ美濃まで行って?」

と相変わらず興味がなさそうな信長にかまわず 

分かったのはとちょっともったいぶって「美濃を流れる三本の大河の行き着く先はいずれも川内だという分かりきったことと、双子の娘が二人とも京に行ったので結婚は来春と云うのんびりした話だけだった」と治重郎

「ほおう京へ……何をしに?」とちょっと興味を示した信長。

「さあっ」と首をかしげた冶重郎。

「双子の姉妹のうち一人の目が不自由という噂は本当だったのか?」

と訊く信長。

「そのようで」と頷いた冶重郎。

 

分かったことは他にもいろいろあったが美濃のことは伝えなくてもまあいいかと思った冶重郎が伝えなければならないのは川内。

「隠し砦のような遊び場を川内に造ったらおもしろいのだが」と治重郎

「隠し砦のような?必要になるのかこの先」と信長

「先のことは分かりませんが造るなら津島の対岸立田輪中の南の端、小木江の辺りがよろしいかと」と言う冶重郎に、

「面白そうだやってみよう早いうち、小木江のあたりだな。いずれにせよ長島には前から行きたいと思っていた」と信長が言った。

「頭の茶筅髷を解けば尾張のウツケ殿とは誰にも分からない」

と笑いながら冶重郎が言った。

「聞くところ、願証寺寺内町には尾張や桑名など近隣だけでなく伊勢や美濃あるいは三河など遠方からも人が訪れ賑わっているらしいが、それも本願寺の力なのか?」と信長か確認するように治重郎に聞いた

「力というより魅力。見世物や芝居の小屋が立ち並び遊女も居る」

と治重郎

「遊女なら熱田にも津島にも居るし、小屋も賑わっている」

と信長

「それはその通りですが・・・・・・わたしの感じた今の川内は正直言って尾張より住みやすい」と治重郎

「ほおっ、尾張より住みやすいのだ川内は。その訳わ?」

と言う信長に治重郎が言う

「第一にイクサが無い。第二に流通の障害が無い。この二点は今でも変わらないが、第三の阿弥陀仏の前ではみんな同じという従来からあった極楽往生の保証がこれから問題になりそうだ」

「第一にイクサがないことか、尾張はイクサ続きだからな」

という信長に治重郎がさらにいう

「農兵でもある百姓衆は頻繁に縄張り争いに駆り出され、殺しあい略奪しあうのが習いになり農作業は手に付かず耕地は荒れ放題で貧しさが蔓延。今の尾張はまだ他国に比べましだがそれでも…川内にはそれが無い」

農兵ではない手勢をつくればいいのだと呟いた信長が訊いた。

「とにかくイクサをなくすのが肝心なのだ。二番目は分かるが問題は三番目。死んだら極楽浄土に生まれ変われるという往生を、真宗門徒は本当に信じているのか?」

「三郎さまもわたしも飢えを知らない。餓えのため人肉を喰らうような凄惨な世になろうとも人は、正気を保ち生き続けるためあらゆる仏形をかきむしり耐えてきた。とりわけ僧法然が唐からもたらした浄土教の教えに頼る川内の衆徒は、往生を信じる前に阿弥陀如来の前ではみんな同じだとひたすら信じてきた。しかし」

「しかし?」

浄土教の一宗派真宗本願寺が川内に浸透し、いつのまにか生き仏になった本願寺法主阿弥陀如来と入れ替わり、(往生の保障を人質に)生殺与奪の札をかざして門徒を操り、ひたすら」弥陀如来を拝んできた今までの信仰生活が一変しまうのが心配だ。しかし本分を超えない限りそれを咎め宗門と対決することは武門の役目ではない。神仏の陰に隠れて人の生き血を吸う卑劣なやからは自浄されるべきだし出来ない筈は無い

歯切れの悪い冶重郎を困らせてやりたくなった信長。

真宗の張本人親鸞の真骨頂という(善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや)意味を考えてみたが、冶重郎は分かるか?」

「なかなか」と首を振った冶重郎に、「三郎さまはお分かりで?」

と逆に訊ねられ聞いた話しだがと前置きした信長。

「人は人として此の世に生まれたときから否応なしに引き受けなければならない役が決まっていると云う話。単純に言えばお前は善人の役、お前は悪人の役と決まっていて、善人役で天寿を全うする一生より悪人役で罰を受ける一生のほうがしんどいだろと云う話」

ともっともらしいことを言って横を向いた信長。

眉に唾した冶重郎が、

「お春はどうしています」と思い出したように訊ねた。

「お春は去年、尾張氏の息子と結婚して熱田にいる」

と信長が答えたのが天文十九年(1550)四月末ごろのことだった。