一乗谷

永禄十一年(1568)春二月十四日明け六つ半。

一乗谷を目指して西光寺を発つ。

進むにつれ鮮やかさを増す桜花に、市之介はだんだん憂鬱になり、光秀はいよいよと張り切り、お菊は馬上で揚々と胸を張った。

辺りを見渡した治重郎。

満開の花びらの一枚一枚が上を向く奇怪さに鞍上腰が浮いた冶重郎。

そして思った。

一乗谷の挽かれる姥桜も一夜にして満開になりもはや散り初めているに違いない。

同じ思いの市蝶が真沙羅な筏に乗り一乗谷を目指し宙を飛んだ。

それを見て

白竜が轡を咬み天に向かっていなないた。

纏が横になり五右衛門が馬簾をまいた。

駕籠が降ろされお局が羽織を脱ぎ捨てた。

 

一乗谷

断末魔の桜吹雪に息をふさがれ、死に物狂いで挽きつづけ、あと一挽きで力尽きて横たわった公達。

一乗谷を吹き抜ける風が公達を覆った桜花を巻き上げ、

挽かれて皮一枚でつながったお徳の首があらわれ、

おもわず目を閉じ悲鳴を押し殺した市蝶。

引き返す誘惑に耐える市蝶。

 

満開の陽紅色を震わせる姥桜にすがり、

皮一枚で立っている苔むした傷だらけの二抱えにも余る太い幹を抱きかかえた市牒が真上を見上げると、

ぽっかり開いた青い空を向いていた無数の花びらが一斉にくるっと向きを変え、

市蝶に笑いかけた。

初めてここに呼ばれた理由が分かった市蝶。

添えられた手で最後のひと挽き、

目を閉じた姥桜の陽紅が一気に散り、

首を抱いた市蝶を包んで空に舞い上がった。

「お前の筋書きを聞かせておトク」

真沙羅な筏がくれない色の虚空を疾走する。

 

風がやんで一乗谷の薄紅色の桜花がはらはらと散っている

入り口から見通し真ん中を歩いていく旅人の口からおもわずため息がもれた

穏やかだここは穏やかだ穏やかすぎる

穏やかすぎて美しすぎる

あとは滅びるしか……そんな想いを抱かせる一乗谷