石山本願寺

永禄十二年(1569)一月初め。

数えで二十七歳になった本願寺十一世顕如は腹を立てていた。

前の年、足利義昭を奉じて入京した織田信長がわが本願寺に五千貫もの矢銭を要求してきた。大金だが世の安定は望む所なので上洛のお祝いにと払っただけで決っして屈したわけではないのに、

「きのうきょうの出来星大名に大金を払うとは気前のいいこと」

と妻の春子に新年早々何度も嫌味たっぷりに嘲笑された。

何時ものことで慣れてはいるものの腹を立てたまま今年初めての勤行。

顕如自慢の喉が巨大な本堂を震わせるほどの読経にのって腹立ちまぎれに力いっぱい木魚を叩いた枹がペキッと折れてしまった。

憤怒の形相十一世顕如

折れた枹を投げ捨て、足音荒く薄暗い本尊の後ろに回り隠し扉を開けたら誇りっぽさに襲われ一瞬逡巡したが後から推されるように闇の中に入って行った。

慌てて続く家老下間一党と取り巻きの坊官たち。

薄暗く巡る梯子のような階段の蜘蛛の巣を掻き分け、吹き込む冷たい風に腹を立て、息を切らせて辿り着いたのが十世証如の猜疑心がつくった幻の物見櫓。

大屋根の破風を抉って聳える奇怪な物見櫓。

そのてっぺんの覗き窓から寺内町を含め今なお増殖中の本願寺城と呼ぶべき堅牢な城壁と堀に何重にも囲まれた広大な寺領をぐるっと望遠した顕如はほっとし、春子の罵倒も心地よく感じたほどだった。

 

継職前、死期を覚った父証如に引かれ(お前に残せるものはこれしかない)と言われイヤイヤ上がったが二度と足を掛けまいと決めていた。

それなのに怒りにまかせ思わず上った櫓の上で改めて本願寺城の巨大さに自信を深め父の言うとおりこの巨大な城塞が弱虫で恥さらしのいくじなしとののしる春子の際限のない攻撃からわが身を守ってくれるのだと強信。

いかなる犠牲を払ってでもここは守らなければと降りながら心に決め、僧衣を脱ぎ捨て寒さに震えながら埃っぽい喉が気になり何度もうがいをした。

 

「二万貫もの矢銭を去年拒否した堺に再び信長が要求したらしいが堺はどうする、二度目の要求も拒否できるのか?」と堺担当の坊官に問う顕如

「堺を焼き尽くし皆殺しにするとの脅しがあったようです」

と答えた坊官には、年が明けてイエズス会の特徴のある男がひとり堺に入ったという報告があったが目的までは分からなかった。

目的は何かと聞かれたら答えられないので顕如には伝えなかった。しかし闇の連絡網には何時ものように伝えた。

「ほおぅ、ぎりぎりの鍔迫り合いだな、おもしろい」

顕如が言うと、「高みの見物でごさいます」と下間の男たちが口々に言った。

下間の男たちを睥睨しながら

「高みの見物などと笑っていたら明日はわが身かも。信長の本性を見とどける絶好の機会。堺に拒否するよう焚き付けるのも一興とおもったがやめておこう、堺の会合衆はバカではない。しかし堺は二万貫、本願寺は五千貫どうしてだ」

顕如がいら立つように言った

「さあ、そこのところはなんとも……」と下間衆

「調べたのか? 分からないなら調べておけ」

顕如が言うと

「御意。この機会に今一度信長にお会いになられますか?」

と下間頼総が言ったので

「なぜだ!弾正忠職のような昇殿も出来ない下級役人にこちらから何度も会いに行ったら門跡の名が穢れる」と言いながら以前、将軍義輝の処で偶然信長に会ったことはあるが……と思い出していた。

 

顕如の様子をうかがいながら下間頼総が言った

「さる十年、信長が標した天下布武の印に反応された猊下本願寺名で太刀や馬を素早く送られたことがあります。そのあたりの記憶の確認もふくめ、わたし頼総が会ってみようかと思いますがいかがでしょうか、法主さまの名代ということで……」と言う頼総に顕如が言った

「名代は駄目だ本願寺家老の名で、ただし手土産は本願寺の名で」