朝倉館①

永禄11年(1568)夏4月

本願寺との和解が定まった今では何かと金の掛かる義昭公を追い出したい朝倉館の思惑や光秀の苛立ちはともかく、

お徳を此処にこの状態で置いていく気はさらさら無い治重郎が気になるのは嫡子を亡くしたと噂される朝倉義景の暴走。

 

ここは一つ身を挺してとお市の方を窺った冶重郎。

あからさまな場当たり顔に苦笑はしたが思いは同じ市蝶。

いま深い闇を全力で疾走しているお徳を一乗谷から動かしたら壊れる恐れがあると懸念したお市の方はお春の心配をよそに一人、朝倉舘に一夜のご機嫌伺い。

一夜のつもりが三夜になったが……。

 

何をしに来たのだという顔の朝倉義景

「浅井備前の妻市蝶です。何かとご迷惑をお掛けしているお詫びにご機嫌伺いに上がりました。よしなにお取り計らい下さい」

と言ってにっこり笑って見せた市蝶。

しかし、どうにでも好きにしてくださいと女が言っているのに男の虚ろな目は、伏せてはいるがやはり嫡子を亡くしたせいなのか?

ならばつくれ!優柔不断で頼りない兄三郎信長でも子種だけはせっせとあちこちに撒き散らしている。

備前は承知か?」

としょうも無い事を訊ねた朝倉義景

生気の無い義景の声に、こりゃダメだと思った市蝶。

会話もなく仕方がないので妻を自慢したがる夫長政のかわった性癖を面白おかしく話しているうちに一夜目は更けた。

別れしな明日もと言った男の悲しげな目が何故か澄んだ目を連想させ、ぴたっとまとわりつく薄絹を身にまとい、戸惑う男の手を未通の胸に押し当てた京の清原邸の出来事を思い出した。

二夜目。急遽光秀に使いを。

持参したお春がやれやれ大丈夫かしらと素肌に着せ掛けた薄絹を通し、成熟した陰翳が谷に狎れた男を煽る姿態よりも話を望む男に腹を立てた市蝶。

もうどうでもよくなった市牒。

かま焚きの男と風呂場でいちゃつく妻に興奮する夫のことなど、あることないことしゃべったあげく、腹立ちまぎれに「デキナイノネ」と言い捨てて去った哀れむような目に谷の男が本気で怒った。

三夜目。本気で怒ったおかげか元気になった男。

世話のかかるお方と思いながら組み敷かれた女が、「孫次郎は一乗谷から一歩も出られない臆病な男だと兄上が笑っていました」と耳元で囁くと、谷で五代目の男がケモノになって薄絹を引き裂き小谷の女を納得させた。

とりあえずお徳は大丈夫とほっとした市牒

 

そんな緊急避難のドタバタををよそに、退屈していたお菊は義昭公のご機嫌伺いを光秀に乞われ一夜だけのつもりがそのままべったり。

(義昭公の男子を産んで将軍の生母に)と光秀に囁かれたのもあるけれどそれよりなんか義昭公との相性の良さを感じた。

一方、揺れる光秀を心配していた市之介の前に景鏡の養女で婚約者のお藍が突然現れ、(三年も待っていたのに)と涙ぐんで迫られ不覚にもこの正月以来ご無沙汰だった体が反応してしまった。

その件は腹をくくった市之介だが問題は光秀。

お市の方によれば、

お徳はまる一日疾走しているからあと半日が限界らしいとすればあと一ヶ月粘れば道は開けると安堵した市之介が

「それにしても景鏡殿をよく動かしものだが条件わ?」と問うと、

「朝倉が滅びたときの保障」と言ったので、

「弾正忠様は承知しているのか?」と訊くと光秀の眸が瞬いて揺れが止まった。

   *

《六月十七日に一乗谷の蝉が一斉に啼いた》

耳を劈く鳴き声に促されたようにお徳が目を覚ました。

(男でしたら誰でもいいのですね)と言うに違いない嫌味を期待した市蝶がお徳の目を見てやはり無駄だったと分かった。

済んだはずの償いがまだ済んでいなかったお徳の新たな罰は記憶を消された上に、記憶を取り戻したら首が飛ぶという残酷な罰。

震えた市蝶。

みんなを遠ざけお湯を使わせ、黙って発つに違いないので帯の間に金子を入れお膳を用意した。

蝉が啼く前、一乗谷の静寂の中を当て所も無く深く暗い闇に消えていくお徳を並んで見送る冶重郎とお春は言葉もなくそれぞれの思いを手でさぐり合った。

《啼く蝉が一乗谷を揺らしている》

七月十三日に一乗谷を発ち、朝倉勢に守られ小谷まで同道した義昭公が三日間滞在して四日目の早朝、

お菊を伴い此処からは浅井勢に守られ岐阜に発つのを長政の陰から見送った市蝶が(これからお風呂に入りません一緒に)と耳元で囁いた。

長政の肌にそっと触れると

汗ばむほど暑いのに鳥肌が立っているのでやっぱりと、小谷の最初の夜を思いだしながら赤ちゃんができたらしいことをさらっと告げた