2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

小谷城③ 元亀元年(1570)秋八月二日 姉川の合戦以来夫長政は上の城に移ったが、下の姫屋敷に居座っているお市の方。 今日が二日なのだと気付いて山登りを思い出した。四歳になる茶々姫の手をひいたお福と、二歳の次女初姫を背負った吾助を連れて物見櫓に上…

石山本願寺④ 元亀元年(一五七〇)秋九月十二日。 信長は確かに七十日程で二条館を造ったが、土台を据え木組みも他の材料も何もかも揃えてからの七十日なのだ。それに比べ、いちから準備して五ヶ月で出来たのは上々といえる五重塔の天辺に上った本願寺十一世…

比叡山① 脅すような書簡を送った覚えも口にした覚えもないのに突然攻撃する本願寺に吃驚した信長をさらに驚かせた報せ、浅井・朝倉連合軍の進攻は分かっていたが湖西の要衝、宇佐山城守将森可成(十四年前稲生で共に戦った怙臣)の戦死にうろたえた。 元亀元…

降誕祭① 元亀元年(1570)十一月二六日。 本邦の暦で元亀元年十一月二十七日がユリウス暦の十二月二十五日に当たり、キリスト教にとって大事な催しの一つ、救世主イエスキリストの誕生を祝う降誕祭が姥柳町の教会堂でおこなわれ、参加した新六郎は暦の重要性…

元亀二年(1571) 春二月。 自分が生んだ、のどのつぶれた赤子が潮に引かれ、迷路のような水路をゆらゆらと流れていく光景に憧れていた川内の子華子は無事男児を出産した。 秋九月。 織田勢が比叡山延暦寺とその門前町坂本を焼き討つ。 同じ頃。 紫宸殿をは…

岐阜城③ 元亀三年(1572)正月二日。 病と称し年賀の挨拶を受け付けない信長は岐阜城の客間で、柴田勝家と木下秀吉と明智光秀と徳川家康と前田利家の五人に加えて内藤冶重郎を前に脇息にもたれていた。 常に前線で戦っているこの顔ぶれが揃うのは正月でも珍…

元亀三年(1572)秋八月。 江北に出兵した陣から密かに離れ京に入った信長は、外冦の脅威で共鳴する将軍義昭を二条館に訪ねた。迎えに出たお菊が避ける三郎信長の目を追い、「お久しぶりです」と言いもって無理やり合わせた目が、一度でいいから肌を合わせた…