黄金の免罪符 「享禄五年 (1532) から天正十年 (1582) までの筋書」 木曽川① 木曽川は上流から下流に下流から上流に絶え間なく流れる水で遠い対岸まで埋め尽くされ、辿り着いた旅人に渡る気を起こさせないような威圧感がある。 天文十年(1541)春二月。 堤…

伊勢長嶋⓪ 天文十年(1541)正月。 呼ばれて新年の挨拶かたがた兄貴の居室に出向いたら、「お小夜だ」 と言ってかたわらに控える若い娘を示した。 「吉法師の遊び相手は桜の咲くまで、ご苦労だった。桜が咲いたらこのお小夜と妻夫になって長島に住むように」…

阿弥陀如来① 天文十九年(1549)夏四月末。 内藤冶重郎がお小夜の笑顔に見送られ一人で川を渡ってから一ヶ月。 九年ぶりに会った吉法師、 いや元服した三郎信長のうつけ者と噂される格好。 特に冶重郎の目を引いたのが天を突く異形の茶筅髷。 ぼろほろの着物…

年表 享禄五年(1532)五月*織田信秀と長井利政(斉藤道三)が揃って堺に行く。 七月*享禄五年禄から天文に改元される。 天文元年(1532)八月*法華宗徒等/山科本願寺を焼き撃つ。 天文二年(1533)朝倉義景誕生(孫次郎)四代目考景の嫡子。 天文三年(1534…

南蛮貿易船 ① 天文十年(1541)より九年前の享禄五年(1532)夏五月。 敵味方無用の自治都市堺。 南蛮貿易で賑わいはじめた堺の商人納屋宗次の屋敷に、揃って訪れたのが美濃の長井規秀(斉藤利政)と尾張の織田信秀。 敵対しながら惹かれあう二人。 歳は親子…

近親相姦① 天文十八年(1548)春一月。 尾張の北西富田。 領内川とも境川とも呼ばれる木曽川支流の右岸に立つ真宗聖徳寺。 その数ある塔頭のひとつの一室。 折に触れ飲み交わす二人の男が向かい合っていた 一人は織田弾正忠家の次席家老平手中務政秀。 もう…

近親相姦➁ 天文二十年(1551)春二月。 美濃の雪をうっすらと残した輿から降りた花嫁。 衣を外し、控える織田家の出迎えに軽く会釈した花嫁。 すっと空を見上げた十四歳の花嫁が、 「いいお天気!尾張も美濃も空の色はかわりないのね」 と真っ白な喉頸露わに…

勝幡城① 天文二十一年(1552)冬十一月。 かつて禁断の交わりがあったあのおぞましい屋敷で近親の交わりが!今。 性にはあくまで峻厳な政秀。 酒にだらしがないように性にもだらしがなければよかったと嘆きながら居城である志賀城にこもり、自分の所為でこん…

釣瓶① 天文二十二年(1553)夏六月。 暑い夏の日の信長。当年二十歳。 聖徳寺から帰る途中、喉が渇いて勝幡城に立ち寄った信長。 裏門からはいり裏庭の井戸に行くと、釣瓶を手繰っていた少女がいた。 少女に水を所望すると、「水呑をおもちしますから」と言…

一夜城 ① 永禄九年(1566)秋八月十六日。 墨俣の砦に水を滴らせた馬二頭。 先頭の白馬が小六を認めピシッと止まった。 アッ於市御前だ! 於市御前に違いない! 初めて見るがすぐ分かった小六。 「織田弾正忠殿はいずれに、妹市蝶ただいま参上」 芝居がかっ…

清洲城① 永禄九年(1566)九月十三日。 二年前、三郎信長が小牧城に移ったので清洲城に入った市蝶。 信長の寝室をそのまま使っている市蝶の寝室は、開けられた蔀から差し込んだ十三夜の月明かりで、文が読めるほど明るかった。 いつもではないけど、どちらか…

関が原① ねちょつと素肌に絡みつく白い闇をやみくもに切り裂き浮かび上がりながら、此処が大垣城できのう聖徳寺から着いたのでしたと市蝶が思い到ったのは、挨拶に顔を出した氏家直元の(なるほど)と云う顔と、(大垣に泊まって大丈夫か)と言いたそうな治…

間道① 永禄九年 (1566) 九月二十九日 藤川の里は朝から晴天だった。 木下秀吉に手を取られ(お市さまのおぼしめしにかなうよう骨を折ってくれ)と頼まれたのが八月の末。 お市様はともかくあの女の為ならと思った小六が、小六組の郎等を引き連れ、関ケ原を越…

知恩寺① 永禄九年(1566)九月二十九日。 暗くなって藤川の知恩寺に辿り着いた一行。 お春の笑顔が提灯の明かりに浮かびホッとしたお徳。 「お市さまお春さんが居ますよ」と駕籠に声をかけめと、「ほんとよかった」と市姫の声が弾んだ。 吾助の背から下ろさ…

庫裏① 永禄九年(1566)九月三十日。明六つ半。 お目覚めですかお市さまと襖越しに声がかかり 「きのうの天気が嘘みたいにいい天気ですよ」 と襖を開けながらお徳が言った。 目は覚めていたがまだ寝床の中の市姫。 「お春が居て安心しました。死にそうな目に…

極楽寺① 永禄九年 (1566) 九月三十日 昼前 極楽寺の大きな山門を潜った使者の三人。 正面に見える本堂の右手に建つ庫裏から、にこやかに現われたた小太りの男が佐内を見てちょっと驚いた顔をした。 「先乗りの明智光秀」と名乗った男に案内されて書院に入る…

庫裏➁ 永禄九年(1566)九月三十日。昼四つ 頬かむり姿の長身の男が忍び足で市姫がいる座敷の前まで来た。 大胆にも男は 中の気配をうかがいちょつと襖を開けそっと座敷を覗いた。 ほほが緩んだ男 昼寝から覚めしばしまどろんでいる市姫の素顔が可愛い。 口…

庫裏③ 永禄九年(1566)九月三十日。昼四つ半過ぎ。 時を忘れ拝殿で忙しなく動くお徳。 お徳の姿に見とれていたら横目でにらまれた小六。 慌てて境内に目を移した小六。 早朝に大野木から運ばれてきた神輿に取り付き、職人たちに指図している源吉が目に入っ…

輿① 永禄九年(1566)九月三十日夕方7つ 覆った雷雲は一瞬で去りお神輿はなんとか輿に変身した。 明け六つの暗い中を大野木から運ばれてきた神輿。 珍しい構造なので何とかなると思っていた源吉。 だが、朝日が当たると半ば腐った神輿の現実が老いて日々腐っ…

白川神社① 永禄九年(1566)九月三十日 暮6つ 白川神社は知恩寺の直ぐ傍に在る。 広い境内のそこかしこにははかがり火が明々と焚かれていた。 鳥居を潜った右手に小六組の男衆がたむろする社務所に灯りが点り、赤く色づいた紅葉が石畳沿いに並び鮮やかにかが…

庫裏④ 永禄九年 (1566) 暮六つ半。 「男の方はうらやましい、幾つになっても簡単ですもの少年にもどるの。それに比べ女が少女にもどるのは……下手をすると化け物になってしまいますもの」 とお徳が言った。 黄銅色の乗馬袴に藤色の小袖、萌黄色の陣羽織を着て…

姉川① 永禄九年(1566)十月一日5つ半 藤川を発った花嫁行列。 何処までも付いてくるような伊吹山を右手に黙々と歩く一行。 越える人にとって此岸から彼岸に渡るような気がする姉川まで道半ば、光秀が仕立てたお休み茶屋六ぺえで休憩。 「座っているのは大変…

極楽寺① 永禄九年 (1566) 昼四つ半。 引き続き天気は上々。 小六組が仕立てた船で姉川を渡り極楽寺に入った。 本来ならここで一泊して二日がかりの予定だったのだ。 それを、小便が近いのを忘れた訳ではないが何かに急かされ一日で行くと報せてしまった治重…

近江路① 永禄九年(1566)十月一日昼九つ半 花嫁行列は田屋孫右衛門の先導で小谷を目指し出発した。 やがて舟橋が架かる草野川に差し掛かった。 揺れる舟橋に恐れをなしお徳の手に縋って渡った市姫。 わたり終わった市姫が「少し歩きたい」とお香に手をあず…

近江路② 永禄九年(1566)十月一日.夕七つ 市姫の長い昼寝が覚め再び出発した行列の最後尾列外。 けしかけたようになってしまった立会い騒ぎに気分が晴れないお春。 小六が用意した駕籠を下りやれやれと伸びをして歩き始めたお春に、腹に一物ありげな光秀が…

近江路③ 永禄九年 (1566) 夕七つ半。 暮れ初め落ちかけた夕陽が高嶺にそびえる小谷の城を照らしている。 若き日造るのに苦労した城。 亮政との思い出がいっぱいの櫓を馬上から感慨深げに眺めている孫右衛門。 「立派なお城!」 轡を並べたお徳が櫓を見上げて…

小谷① 永禄九年(1566)十月二日。 三日続きの秋晴れ。 高い松の梢をさやがす風が運んでくる薫りも市蝶の肌を撫ぜる気持ちのいい冷やっこさも尾張とはあきらかに違っていた。 並んだお膳の朝げの匂いも初めてで嫁いだ実感がわき夫婦になった実感がわきさりげ…

小谷② 永禄九年 (1566) 十月二日。昼八半。 きのうしそこなった日課のお昼寝。 まるで取り返さんばかりに昨夜の寝所で眠り続ける花嫁。 何時までも起きて来ない新妻が心配になり様子を見にきた長政。 長政が来たことをお香に告げられ仕方なく起きた市蝶。 洗…

密勅① 三年前の永禄六年。(1563) 織田弾正忠信長の妹との結婚話。 ましく決断を下しかねていた浅井の仲冬。 突然、風に乗って単騎小谷に姿を現した信長。 驚く浅井の若い当主とこの櫓のこの位置から琵琶湖を望んでいたのだった。 「琵琶湖は大きい、新九郎殿…

小谷➂ 嫁いではじめての気ぜわしい年の瀬。 気ぜわしいのに小の月に当たり大晦日の前日二十八日の朝から絶え間なく雪が降り続き北近江でも珍しいほどの大雪になった。 永禄十年(1567)一月一日。 白い静寂に包まれ新たな元旦の明けやらぬ闇。 暗闇の中すっ…