二条舘⑤

永禄十三年(一五七〇)夏四月二十一日。

昨夜から降っていた雨がやんで開けられた全ての蔀戸から風が♪

「木々の緑が雨に洗われてきれいだ」と外を見た義昭が言った。

「本当に! 心が洗われるようです」と義昭と同じ目線で外を見ながらお菊が言った。

ふっと笑った義昭。「あらっ心が洗われたらおかしゅうございますか?」

と言ってちょっと睨んだお菊に笑いを収めた義昭が言った。

「おかしくて笑ったわけではない。可愛かったのだ、思い違いをするな。昨日、越前を目指し弾正忠殿が発ったとき小雨が降っていた。先月参内したとき弾正忠殿のことが話題になり、そのときそなたのことも、雨を見ていて思い出した。」

「まさか、お上がわたしのことを知っているはずが御座いません」

吃驚するお菊に、「いやっ、よくできた女だ、と」真面目な顔の義昭。

「お上が? まさかご冗談を! からかわないで下さい」と怒るお菊。

「本当だ! お前を褒め一乗谷の話になり、弾正忠信長は自分の山をつくり(どうだ)と言いたいだけなのだとお上はおっしゃった」とひとり頷く義昭。

「三郎さまがご自分の山をつくってそこから(どうだ)とおっしゃるのですか!」と首をかしげたお菊は、「そのようだ」と言う義昭公の愉快そうな顔を見て何故か、(どうだ)と言いたい三郎信長の心根が一瞬で分かったような気がして言った。

「それならわたしもわたしの山をつくりたい! 義昭さまもおつくりになりません」

義昭を見たお菊の熱い視線がふっと風を感じて蔀戸の外に移り話を変えた。

「京を発った三郎さまは三万もの軍勢を引き連れ、琵琶湖の西を通って若狭に向かうと聞きましたけどのんびりしたこと。新九郎様には人数だけ知らせましたが」

と言うお菊に肯いた義昭が言った。

「三万もの軍勢と煽るが大そうな話。軍勢が動いた後は悲惨な状態になる。弾正忠殿のように行く先々で略奪せずに三万もの人数を動かせばたいそうな金が掛かる。あちこちから矢銭を徴収しているが限度がある。イクサをすれば当然求められる酬いが出来ない小領主は無論大名までも、恩賞替わりの乱暴狼藉や略奪を、見て見ぬ振りをせざるをえないのが実状だ。それが嫌いな弾正忠殿は、抵抗する者には降伏せよと近習を派遣しての長い説得はいつものこと。上洛途上なのに六角承禎を説得する為、与すれば京都所司代にするという私の約束までも伝え七日間もねばったほどだ。軍勢三万のうち大部分は京都を狙う族に備え畿内の要所に配置。同行するのは総勢五千足らず。それも兵站や設営の部隊、公家衆とその付き添いもいる。戦闘部隊はせいぜい三千、会いに行くだけだ」

「朝倉様からご返事が無かったからでしょうか? それと小谷を避けたのは?」

何故ですと首をかしげるお菊に義昭が言った。

「そうだ、織田弾正忠の名前で出した上洛を促す書状を無視されたが、今度は国境まで会いに行くから一乗谷から出てきてほしい、と礼を尽くした通知をした上での遠征。成敗に行く訳でもないのに小谷を避けたのは、朝倉との関係が深い浅井にたいする弾正忠殿の気遣い。もし成敗に行くなら浅井に通告して(どうする?)と問うはずだ。問題は義景が谷から出てくるかだ。私としては世話になった朝倉と織田が手を結べば万々歳だが私の思いと義景の思いは別。そして顕如の思いと門徒衆の思いも当然別々。蓮如いらい一向衆の勢力が強い加賀、越前、近江もまた別々の思い。硬直した加賀は措いて、和睦はしたものの朝倉とギクシャクする越前門徒衆に比べ浅井と近江の門徒衆は良好なようだが……。とりあえず今注目すべきは、網の目のような伝達網を本願寺がどう使うかだ」

わたしの考えは間違いなかったと肯いたお菊。三郎さまと同様、乱暴狼藉も血を見るのも嫌だから将軍になりたくなかった男が活き活きと、将軍義昭を演じているのを嬉しそうに見ていた。がしかし三郎信長の性格に関しての理解は間違っていると思った。(どうするのだ)と問いたいのに問えないのが、三郎さまが持って生まれた性