禁裏②

永禄十三年(1570)三月一日。

前日上京した織田弾正忠信長は畠山氏らの大名を伴い将軍義昭を二条舘に伺候。その後妙覚寺で昼食を取り午後、衣冠指貫姿で参内して誠仁親王に初の見参。正親町天皇心づくしの宴に杯を傾け相伴する多くの公家衆の姿があったという。

その二日後の三月三日。

小谷で賑やかな花見の宴が開かれている頃、散り始めた桜花を踏んで皇居に参内した将軍足利義昭は修理が完了した清涼殿の昼御座で正親町天皇と向かい合っていた。

「そなたは幸せそうだな! いやっ幸せなのだ」と天皇が言った。 

「おそれいります。なぜそう思われます?」と将軍が言った。

「とがっていないから。傍に居る女が丸くしているのかな」 

「ご推察のとおりですが、どこからそのようなことを!」 

「下世話な話を耳に入れる者がいる。浅井のよくできた女だと聞いたが……」 

「そこまでもご存知で! 浅井長政の傍に居た女、わたしには一乗谷から……」 

「そなたが一年ほど居たと聞く朝倉の谷一乗谷はどんな谷だ」 

「四季を通し美しい谷でございます。美しすぎるゆえ多くの精霊を呼び寄せ、美しすぎるゆえ時を歪め、美しすぎるゆえ人の心を歪め、おかしくする谷のようです」 

「時を歪め心も歪める? はてっそなたもおかしくなった!」 

「いささか」 

「ほおっ……ところで、一度突き返した織田弾正忠が示した五か条の条書を、再度示され承諾したらしいがそなた、納得した上でのことか?」 

「お気を使っていただき恐縮至極に存じます。弾正忠殿が副将軍も管領も断った上に五か条の条文を提示したのは将軍の地位に執着しているためかと思いましたがそうではなさそうで、心配しているのは恐れ多くもお上に取って代わろうという大それた野心」 

「それはない」と天皇

「まことに?」と将軍。 

 

「あの男は此処に来た七年前から感じていたのだ、此処が風化しつつあることを。何もせずに抛って置いたら遠からず、此処も朕も風と共に自然に帰っていくであろうことが分かっていたのだ。分かっていて言った(必要なものは残る)と、外冦に対しては此処がこの国にとって必要なものだと直感したのだ、少なくともあのときそして今でも」 

「それで上洛して内裏の修理や皇室領所の恢復を! これからも?」 

「先のことは誰にも分からない」 

「しかし必要だと思った」

「必要だが、此処も朕も諸刃の剣だということをあの男は知っているのだ」

「諸刃の剣? 今はお上に取って代わろうという気はまったく……」 

「無いだろう。そなたの言うとおり、将軍の山に上って将軍になりたいとは思わないあの男は天皇の山に上って天皇になりたいとも思わない。あの男はただ、自分でつくった山に上り、そこから(どうだ)と言いたいだけなのだ