降誕祭①

元亀元年(1570)十一月二六日。

本邦の暦で元亀元年十一月二十七日がユリウス暦の十二月二十五日に当たり、キリスト教にとって大事な催しの一つ、救世主イエスキリストの誕生を祝う降誕祭が姥柳町の教会堂でおこなわれ、参加した新六郎は暦の重要性を改めて知った。

永禄三年(一五六〇)古い町家を買い取り、ヴィレラ等会員の住居と礼拝堂を兼ねてささやかな祭壇が備えられた姥柳町の教会は、その年この都で初めてミサが行われた記念すべき所だが、傷みが激しく僅かの揺れでも倒れてしまいそうな怖さがあった。

ミサには一度出たことがある新六郎も降誕祭は機会が無く、光秀夫人煕子と娘珠子と何れも初めての三人が連れ立って二十六日の昼過ぎに教会堂を訪れた。

十一月二十六日の日没から始まり二十七日の日没まで続く降誕祭。本邦のキリスタンがあちらの暦を使っている理由はひとえに祈るために必要だからで、暦が無くては其の日も分からずそれこそ迷える子羊になってしまうということが分かった新六郎。

 

京に来て生まれて初めて伸び伸びした光秀夫人はひとり、荒れ果てた京の町を物ともせずに嬉々として出歩き、「やっぱり京だわ、美味しいからって十兵衛さまがおっしゃっていた食べ物屋は焼けて無くなっていたけど、ちょっと横丁を入ったところに美味しい店がいっぱいあるから回りきれないわ」と興奮気味でお徳が心配していたような気配は無く、むしろ短期間で吃驚するほど大人びた珠子の様子が気になりだした新六郎。

暗くなったら怖いので、直ぐ近くの法華宗寺院本能寺に泊まることにしていた光秀夫人が、「あした昼間にもう一度まいります」と言って帰りたくなさそうな珠子の手を引くのを見送り、このまま此処に居たいが会場が込んできたのでどうしようかと思案していた新六郎はロレンソに誘われ、ぎしぎし音をたてる階段を踏んで二階に上がった。

 

二階は三部屋あってロレンソが使っている一部屋に入ると、小さな食器棚から清原邸で飲んだことのある血の色をしたワインという飲み物とそれを入れるグラスと呼ぶ杯を取り出して日本酒みたいに並々と注ぎ、にっと笑って新六郎に差し出した。

「去年の正月に元服されたのですね、徳川家康殿の烏帽子親で。遅まきながらおめでとうございます。ちょうど九州から帰ってバタバタしていた頃でして……」

と言ってイルマンのロレンソがグラスを掲げた。

ロレンソに倣いグラスを掲げ、「わたしの元服のことをよくご存知ですね」と新六郎が首をかしげ、「ちょっと聞いたもので……」とロレンソが言った。

「しかも烏帽子親の名前まで」と言う新六郎に、「烏帽子親が誰なのかは生涯に亘って大事なことだと聞いています。わたしが感じるところでは徳川殿になったことは幸運なことだと思います。すいません余分なことを言いました」とロレンソが言った。

  *

頭脳明晰な日本人ロレンソ了斎神道や仏教の知識を基に日本文化をまじえて分かりやすくキリスト教の教義を説き、当代きっての教養人、結城忠正や清原枝賢の疑問にもよどみなく答え、納得した二人が後に洗礼を受けたほどの弁舌はかの朝山日乗との宗論にも発揮され、日本におけるキリスト教の布教に計り知れない貢献をしたのだった。

ポルトガル語スペイン語の先生でもあり、よく響く厚みのある魅力的な声で親子ほど年が違うのに丁寧な言葉遣いするロレンソ了斎が、烏帽子親が家康になったことは幸運だと言ってくれたことに、「ありがとうございます」と頭を下げた新六郎。

下から聞こえてきた賛美歌の歌声がいつも忙しくしているロレンソとゆっくり話が出来そうな雰囲気にさせ、元は琵琶法師をしていたと聞いていたので、「琵琶ですねそこにあるの」と言って食器棚の横に立てかけてある琵琶らしきものを指差した。

「そうです、もう長いこと弾いていないが……」

「その前は長いこと弾いていたのですか?」

「目がとにかく不自由ですから、生きるため琵琶を弾いてなんとか凌いでいたのです」

「琵琶を弾いて辻説法をしていたのですね?」

「辻説法なんて聞こえはいいが、琵琶を弾いて物もらいですよ」

「そんなことは……ザビエル司祭に会われたのはそんな時ですか?」

「そうそのころに、運命です。私にとっては運命!」

「幾つのときに会われたのですか」

「たぶん二十五、山口で。あれからもう二十年近く経ちましたがあっという間だった。苦しいことも楽しくて夢中だったが、これからも死ぬまで夢の中でしょうね」

会ってから一年程で日本を離れ、翌年に中国の上川島で没したと聞くザビエル司祭のことを何も言わないのは夢の中に生き続けているからに違いないと思った新六郎。

「夢の中ですか、うらやましい話ですね。生まれたのも山口ですか?」

「いや郷里は肥前

「ひぜん?」

「九州の西の端。口では説明しにくいから地図があればいいが……」

「ちず?」

「地形や地名をを詳しく記したものを便宜上地図と言っています。地図は経済活動や生活する上で必要かつ大事なものですから何時かはこの国の地図をつくらなくては……」

「なるほど。その肥前から山口に来たのは何故ですか」

「流れ流れて気が付いたら山口。山口は活気がありますから」

「山口で出会って直ぐ洗礼を受けられたのですか」

「ほとんど直ぐ。郷里には身寄りもいないし天涯孤独でこの体。それからずうっとイエズス会の手伝いをさせてもらっています」

スペイン人のフランシスコ・ザビエルが、この片足が不自由で盲目に近い日本人で怪異な容貌ともいえる琵琶法師の非凡な才能を瞬時に見ぬき重用したのは天啓なのか。

 

「洗礼を受けたのはキリスト教の教義を理解されて?」

「理解というより直感ですそのときは。これで救われると……」

「今では司祭を助ける修道士にまでなられていますが、はじめのころからイエズス会の仕事を天職のように感じたのですか?」

「天職という前に天命のように……」

「天命ですか……。直感で天命を感じたら迷うことはないですね」

「迷うなんて贅沢な余裕はとても……」

「迷うことが贅沢な余裕……わたしは十六歳の今日まで迷ってばかりです。修道士のロレンソは司祭になりたいと思っていますか?」

「思っていませんが思っていたらそれは迷いではなく欲望です。欲望は救う対象ではありません。諌めるだけです」

「わたしの迷いも救う価値なんてないかも……」

「救う価値の無い人なんかいないのは分かっているはずです」

「それは分かっているつもりですが、前から疑問に思っていたことで聞きにくいことをききますが、何かにつけキリスト教徒がユダヤ人を目の敵にするのは何故ですか?」

「イエスを十字架に掛けたのがユダヤ人だからです」

「でも、十字架にかかって殉教したから神の子になれたのではないのですか?」

「父と子と精霊の三位が一体ですから、子なる神イエスキリストは生まれる前から神の子なのは自明なことです。それよりそろそろ洗礼を受けられたらいかがです」

「三位一体のことはまだよく理解できていません」

「理解できなくても信じることは出来ます」

「理解ではなく信じることだと言いますが、信じて洗礼を受けるにはなにかが必要です。安心を得るために全てを捧げるのか、それとも何かのための大義名分を得るためか、身を投げ出させたものは何なのか! それに私の場合は三郎さまの許しが必要です」

「やはり恵まれている人には覚悟と何かの許しが要るのですね。いやっ嫌味ではなくわたしには覚悟は必要なかったですから。わたしにはただただ天命でしかなかったキリスト教を聡明な弾正忠様はどのように思っていらっしゃるのでしょうか? ふつう、説明を聞いても理解できない地球儀を表した絵ををはじめて見て直感的に地動説に肯かれたほどの方ですから、教義についてもご自分のお考えがあるかと……」

「三郎さまはたぶん、説かれる教義より、実際に何をしたか、しているかに興味があるのではないでしょうか。三郎さまが知りたいのは免罪符のこと、特に黄金の免罪符のことをイエズス会がどのように考えているのか知りたがっています」

「黄金の免罪符? 初めて聞きました」

「そうですか……洗礼はやはり三郎さまの許しが必要だと思っています」

「許しが出たら洗礼を受けますか」

「洗礼を受けないなら何も教えてやらないなんてことは……」

イエズス会の心ははそんなに狭くはありません」

「失礼しました。失礼ついでにお聞きしますがイエズス会は結婚を禁じているのでか?司祭や修道士の皆さんで妻子がいる方は見うけられませんが……」

「禁じてはいませんがあなたも知っている通り、異国での過酷な宣教生活に妻子を持つことは至難なことです。自分の命も危ないのに妻子の命まで守れません」

「でも結婚しなければ責任もないのだから女の人と仲良くしてもいいのでしょう」

「そういう無責任で破廉恥なことは、イエズス会は許しません」

「許されなくても内緒にしとけば罰が下ることは無いのでしょう」

「罰は下されます」

「下すのは聖母マリアですか?」

「こういうときに聖母マリアの名を出してはいけません」

普段のロレンソにはないきつい口調で言った。

「すみません。ところでロレンソさんは覚えていますか、去年暮れにかけてしばらく清原邸にいた華子という名の若い女の人のこと」

「もちろん! 華子さんは年が明けたらまた来られると思っていたのですが……」

「華子さんは聡明なロレンソさんが好きだったのですよ。何でも知っているし何ヶ国語も話せるしそれなのに偉そうにしないのがいいし声も素敵だしって……」

「……」

「だめですかこんな話」

「いやだめということはないのですが……」

「ロレンソさんを好きだった華子さんは尾張に帰って間もなく結婚しました。事情があって結婚式は挙げていませんが、子供も出来て来年の二月ごろうまれる予定です」

「事情って? いやわたしには係わりの無いことでした」

と呟き空になった新六郎のグラスに注ごうとしたロレンソの手をさえぎり、もう十分です御馳走様でしたと頭を下げ、グラスを布巾で拭き食器棚に戻して言った。

イエズス会は奴隷の売買に係わっていませんか?」

「いきなり何を言い出すのです」

「三郎さまが一番嫌うのは人を捕まえて奴隷に売る人取りです。男色を禁止している教義に不満を持っている三郎さまがイエズス会を優遇しているのは本邦には無い文化や技術を取り入れたいからで、キリスト教を信じているからでは無いということをイエズス会は知っているはずです。天皇の山に上って天皇になりたいとは思わない三郎さまは天上の山に上って絶対神になりたいとも思っていません。唯一の神を信じるキリスト教徒から見たら理解できないことかも知れませんが、自分が作った山に上って(どうだ)と言いたいだけの三郎さまは日本人一人一人が自分の山を作り、ヤオヨロズ(八百万)の神々と譬えられるほど数多くの神々のひとりになることを夢見ているのです。そんなことは無いと信じていますが、もしイエズス会イベリア半島からの支援が滞りがちなのを補うために奴隷の売買に係わっていることが明らかになったら、もし神となるべき日本人を海外に売っていることが明らかになったら、三郎信長の夢見る狂気はけして許さないでしょう」

と言う新六郎は、ヤオヨロズの神々の一人になって単体で戦うのがこの国に生まれた者の定めなら、縋るものがいない辛さに耐えるためには狂気が必要かもと思った。