石山本願寺

永禄十三年(1570)初夏四月三日。

本堂を震わせ喉の調子は悪くないなと思いながら朝の勤行を済ませた顕如が、「五重塔をつくる」と口走った唐突さにまたかという顔をした下間頼照

本来なら落ち着きのある性格のはずの十一世本願寺顕如が、時折落ち着きの無さを見せるのは何時ごろからか? あるいは信長の上洛以来頻繁に起きるようになった落ち着きの無さと五重塔とは関係があるのか無いのか頼照には分からないことだった。

五重塔と口走った光佐はこの朝春子と些細な諍いがあった。諍いの原因にはまったく関係ないのに突然(本堂の物見櫓はみっともない。三条家の恥です)と春子が言いだし、ついでに、(もう隠居したらいかがですこの恥知らず)と罵倒された光佐。

いつものことだが分けがわからず身構えていると物見櫓には関係ないのに、(成り上がり者の信長ごときに何時まで大きな顔をさせておくのです)と行きがかりの駄賃みたいな感じで言われたことも思い出し吐き気を催したが取りあえず、「本堂の物見櫓は取り払い替わりにてっぺんまで上れる五重塔をつくれ」と下間頼照に命じた。

光佐にとっての五重塔はてっぺんまで上れるのが肝心で、駆け上がって城塞を見渡し安心できる拠りどころは、春子の罵倒に対応するために確保しておきたいのだ。

「仰せの通りに」と頭を下げた頼照。てっぺんまで上れる五重塔が幾ら掛かるのか見当もつかないし、物見櫓を取り払うだけでもいい加減金が掛かるが出費を切り詰めることなどさらさら頭に無く、新たに集める算段をめぐらしながら気になる一報。

「一昨日、近隣の諸侯を集めての能公演を盛大に執り行ない、信長も満足そうだったという事ですが唯一人越前の朝倉義景殿の姿が無く,一乗谷に行くらしいとの噂が……」

「初めて聞いた話しだが何をしに行くのだ」

「さあそこが。いきなり成敗に行くとか、いやいや話し合いをしに行くだけとか、いろいろウワサは聞きますがいまひとつ詳らかではなく判断に苦慮しています」

「人数と越前までの順路は分かっているのか?」

「その件も三万を越す軍勢とか、たかだか五千程とか定かではなく、順路も琵琶湖の西側を通るらしいのですがそれ以上はいまの時点では、いつ発つのかも……」

近江から北陸は手の内! 信長を困らせる絶好機かもと直感した顕如

「すぐ人数と予定を義昭公に使いを出して訊け。それと門徒衆に軍勢の動きを監視させる手配をせよ。とりあえず今分かっている事を湖北十箇寺に廻し、加越の門徒衆とも連絡を取って大きな顔をした成り上がり者の信長を困らせるような企てを練れ」