永禄十三年(1570)四月二十三日に元亀と改元される

陣中見舞い

元亀元年(1570)夏四月二十三日。

お菊から三万の軍勢と報せがあった時には一乗谷に攻め入るかと思ったがその後、誓願寺からの知らせでは総勢五千人程に過ぎないらしく、琵琶湖の西を通り和邇安曇川に泊まり朽木を通って若狭に向かったとの間者の報せもその数五千程と合致。朝倉成敗ではなく朝倉義景に会いに行くだけで、若狭の海で武将や公家らの慰労をすることが主眼に違いないと思った。しかし肝心の義景は一乗谷から出てくる気配がないと本願寺の連絡網から伝わり、はてどうなることやらと思っているとき陣中見舞いの話が出た。熊川に一泊した織田勢が美浜に二泊してのんびり春の海を遊山したとの報告が間者からあったが、二十五日に敦賀に入った織田軍がその日に朝倉の最前線天筒山砦を落としたと報せが門徒衆から来た。金ヶ崎城から峰続きの手筒山砦には以前一度訪れたことがあり攻めるのは難しい山城と思ったのだが……話し合いにきた筈なのにいきなり攻撃した訳が分からず混乱していると疋田も押さえたと報せがあり、(疋田は近江の海津、塩津、柳ケ瀬から敦賀に通じる三本の街道が集まる要所)混乱が増したあくる日、敦賀にある朝倉の主城金ケ崎城も開城したと云う報せにひょっとすると物見遊山と油断させ、精鋭三千でかつて二千の兵で十倍に余る敵を狭間に襲ったように、木の芽峠を駆け下り一乗谷を席捲する三郎信長の姿が馬上に見えたが、木の芽峠から一乗谷まで約十六里、急襲するには遠すぎる。しかも峠の向こうには加越の一向衆が待ち構えていると聞く。言いだしっぺなのにお好きなようにと笑っている市蝶を見て腹が立った上に、分けがわからなくなり相談した市之介には、(止められたらいかがです)と素っ気なく言われて意地になり、わずかな手勢を連れ二十八日朝小谷を発ち塩津を通り敦賀に向かう途中、武装した門徒衆に加え日当目当ての百姓衆に女子供まで竹槍を手に腹当て姿で待ち構え、暮れ始めた疋田に近づく頃には湖西からの人数も加わり驚くほどの軍勢になっていた。木の芽峠の向こうには加越の精強な一向勢が! 挟み撃ちにすれば兄信長を討てると一瞬、一瞬だが思ってしまった。

 

元亀元年(一五七〇)夏四月二十五日。

 美浜を発ち敦賀を窺う国吉城に陣を構えた信長。

のんびりと休んでいた信長のもとに(天筒山城が落ちた)と吃驚する報告が間者からありさらに、将軍義昭から(信長に加勢せよ)との命令が本願寺に下ったので、越前一向衆が天筒山城を落とし、疋田は近江の門徒勢が確保したとの門徒衆からの報せ。

義昭公がまかり間違っても(朝倉に敵対せよ)と言うはずがないのに本願寺が間違えたのか連絡網が混乱したのか、とりあえず天筒山と疋田に信頼できる近習を遣った。

次の日、間者や門徒衆からの錯綜する報せでよく分からないまま、金ケ崎城の守将で義景の従兄弟朝倉景恒に(義景殿はいかがされた)と劈く銃声を供に使いを出すとあっさり開城し、(一乗谷え行き景殿に伺う)と言って降り出した雨の中を慌てふためき木の芽峠に姿を消したので、雨に打たれ潮の香りを嗅ぎながら金ケ崎城に入城した信長。

あくる二十七日も雨。

京を出るときも雨だった。馬を濡らしたくないなと空を見上げた信長。

間者からの報せでは木の芽峠の向こうに朝倉本隊の姿は無いが、越前一向衆に加え加州一向勢の姿が日毎に増えているという。朝倉義景は会う気が有るのか無いのか? 会う気はあるが一向勢のせいで出られないのなら俺が、信長が一乗谷に駆ける。

あくる二十八日は朝からいい天気。

晴れ渡った空を見上げ「一乗谷え駆ける」と宣言した信長。

仰天した武将たちにかまわず、「どんな理由でも直接顔を見て話せば納得する」ともっともらしく言ったが実は駆けたいから駆ける。反吐を吐いてでも命を賭してでも駆けるのが楽しいから駆ける。それがたまたま狭間であり谷であるだけのことだった。

駆けるべき馬(三代目黒竜)が消えた。慎重で臆病だが口に出したら実行する性格を知っている誰かが隠した。誰だ? 内藤冶重郎が居ればしかし居ない。では誰だ? 家康か秀吉か光秀かそれとも久秀の戯れか? 滑稽だが命がけの仕業だ。

誰かは知らないが内心よくやったと思いながら困惑顔を見合わせる武将達。

「探せ」と誰にともなく命じて奥に引っ込んだ信長。

やがて金ケ崎城は陽炎のように海に溶け込み、疲れたのかなと嘆息した信長。以前なら余分な御託を並べず疾っくに駆けていたのに……。

《浅井備前様ご離叛》

塩津街道から敦賀に迫る五千にも上る軍勢の先頭に浅井長政が! 離叛の報せに冗談だろうと笑っていたが次々届く門徒衆の異口同音に動転。天地がひっくり返った思いの信長はちびりながら暮れ落ちた国吉城に移り、夜が明ける前に丹後街道から若狭街道を朽木に駆けたところに離叛ではなく陣中見舞いの真実が時衆の者から届き、ホッとして朽木元綱の屋敷で日が昇るまで寝過ごした翌日、途中を経て大原から京へーー。

   

もうひとり気になる男のことを冶重郎が訊いた。

「田屋市之介はどうしていた」

 春三月初めの賑やかで異な宴がお藍に里心をつかせた。

「こちらに来させていただいて二年になります。父上のことは心配ですけどいちど在所に帰らせてくださいませんか、郷の親に子供を見せとうございます」

お藍の里心に便乗した田屋市之介。

「おれが送っていく」と市之介が言ったのは大野にいるお藍の実の両親には一度も挨拶していないことが気になっていたからだが、もっと気になるのが触状に対する朝倉の反応と病の床に臥せて久しい親父。もう戦場に出て死ぬことも出来ないと笑った顔が菩薩に見えた親父の世話をお徳にしてもらいたいという虫のいい思いがあった。

「わたしも行きます」と言って顔を輝かせた華子。

大野の里に行く途中にある一乗谷一乗谷の面妖さを聞いて憧れていた華子は、小谷に居座っていた甲斐があったとばかり仙千代を誘い旅支度も万全。

  *

市之介が小谷を発ったのが三月も末になっていた。若い二人の仲の良さに苦笑しながら木の芽峠を越して越前に入り、一乗寺の浄真寺で二人と別れ大野に向かった。

冬には一乗谷より雪深く、ようやく雪が溶け青々とした山々に囲まれた大野の里の両親に挨拶した市之介は、孫を膝に抱いて喜ぶ両親の姿に嬉しそうなお藍と子を残し、来てよかったと思いながら大野一帯を治める朝倉式部大輔景鏡を土橋城に訪ねた。

「その節はお世話になりました」と挨拶した市之介。「なんの、妻子の里帰りに付き合うとは、感心した。ところで一乗谷に寄ったらしいが朝倉館には顔を出さなかったのか?」と上機嫌な景鏡。

「あまり近づきたくないところ」と冗談めかした市之介。

「正直だな、小谷の衆はみんな正直だから付き合いやすい」

と笑った景鏡が、「それに比べ明智光秀という男のうさんくささ。都のことをひけらかす軽口には閉口したがその軽口に乗って織田に乗り換え、易々と上洛してまんまと将軍に納まった義昭公も強運。わしも口ぞえしたが光秀は覚えているだろうな」

と言ったので、「あの件では景鏡様のご助力によるものと覚えている筈です。そのことはともかく、弾正忠様から京えのお誘いがあったはずですが、一向にその気配が無いところを見るとお断りになられた?」と気になっていることを市之介が訊いた。

「さそいが来たらしいが、決めるのは義景殿だ」

「上京されないならお断りの返事は出されましたか?」

と言う市之介に、「それも知らんが多分出していないだろう」と言う景鏡。

「無視するのはいかがなもの。差し出がましいようですが体調が悪いとかなんとでも、返事だけは出されたほうがよろしいかと」言うべきことは言わなければと市之介。

「指図するのか朝倉に浅井が!」と叱責しながら景鏡は思った。

(あの時突然、道なき道の高嶺を越えて大野に現れた織田弾正忠信長。吃驚したわたしの案内で一乗谷に現れた男の、狂気めいた行動の衝撃が未だ癒えていないから返事を出せなかったに違いない。将軍義昭から直接の誘いならあるいは……)

「指図なぞと途んでもございません。わたしの烏帽子親である景鏡様なら分かっていただけるものと。朝倉と織田が争うことは浅井の命取りになりかねません」

 

「その心配のため妻子にかこつけ此処に! それに比べて新九郎殿は呑気だな。烏帽子子を応援するのが烏帽子親の役目。かつて孫右衛門殿は(血が繋がっていないから)とあっさり身を引いたが貴君は鶴千代殿を通じて立派に繋がっている」

「冗談はおやめください、血は繋がっていません」

「教えてやろう血は繋がっているのだ。貴君がよそに出来た子になっているのは跡目争いを心配した孫右衛門殿の配り。鶴千代殿は此処で貴君を生んだのだ」

  *

なぜ景鏡は明かしたのか。真意が分からず半信半疑ではあったが、人知れず可愛がってくれたのは母だったのだ。突然居なくなった母はここ大野にいるという。病を押して一乗谷に行きたがった父の想いは大野だったのだ。「孫を連れお母様を訪ねるために此処に残ります」と言うお藍に頷き、後ろ髪を引かれる思いで大野を後にした市之介は、何も無ければ平穏な一乗谷で退屈していた二人を伴い小谷に帰ってみれば陣中見舞いの話。

普段は相談しないのに珍しくどうしたらいいと相談する長政にそっけない返事をして見送った市之介は一瞬、一瞬だが思ってしまった。もし従兄弟のアノ男が何かの手違いで信長に討たれたら小谷の城主に成れると! 物心ついて以来見てきた父明政の立ち振る舞いからは微塵も感じなかったこと、思うだけでもいけないことを思ってしまった。

 

死の床に臥せる父の脇に座し自責する息子に言った。

「わしも 思った ことが いちど ある」

顔を伏せた息子をたえだえに慰撫する口に口を寄せ、末期の水をしめらせるお徳の唇を感じながら息絶えた幸せな男の戦ってきた体を高嶺の城から降りそそいだアカシヤの白い花が送る化粧のように優しく包んだ。残された男は無性に会いたくなった母を想い、女の胸に顔を埋めて耐えていたが優しく頭を撫ぜられると肩を震わせ縋り付いた