岐阜城

元亀三年(1572)正月二日。

病と称し年賀の挨拶を受け付けない信長は岐阜城の客間で、柴田勝家と木下秀吉と明智光秀徳川家康前田利家の五人に加えて内藤冶重郎を前に脇息にもたれていた。

常に前線で戦っているこの顔ぶれが揃うのは正月でも珍しく、密かに戦陣を離れている者だけがかもし出す妙な緊張感のなか、戦場に出ない後ろめたさを覚えながら、脇息に体をあずけている信長に子供の頃と同じ鬱陶しさを感じた冶重郎は、川内から帰って九年ぶりに会った時の狂気めいた凄みを思い出し、この主人はある部分大人になるのをやめて子供のままで、優しさと狂気との鬱陶しい戦いに明け暮れていたのだと思いながら目を向けた先に一人離れ、隅っこに座っている嫡男奇妙丸の爽やかな顔があった。

ふと奇妙丸の前髪姿に視線を向けた信長が、「奇妙丸はまだ元服していなかったのだな、忘れていた」といいもって風前の灯のような髷に手をやった。

「父上はお忙しいから」と言ってこだわりの無い笑顔を浮かべた奇妙丸だが、母になると言う女の乳を吸って噎せたとき、闇の中に男の顔が浮かんだのを思い出した。

なんぼ忙しくても三郎信長が忘れるはずがないと思う冶重郎が、「もうそろそろ」と言った。分かったと頷いた信長が手を鳴らすと襖が開き、数人の小姓が入ってきて酒と肴を載せたお膳を銘々の前に置いた。「おんなは正月休みでいないから手酌で」

と言って杯を口に運び、倣って手酌を傾けながら奇妙丸の微妙な立場をそれぞれの思惑で消化している一同を眺めていた信長が唐突に青臭いことを口にした。

「それにしても宗門はなぜあんな過激な旗印を平気で掲げられるのか不思議だ」

「今や祈るより強訴が本分のようで」と宗教の怖さを新たにした家康。

三河門徒一揆も激しかったのだ」と信長に続く突撃を思い出した勝家。

  *

松平家康の本拠地西三河は同じ三河の国の東三河より好奇心が旺盛といわれ、武士も新興の真宗門徒が多く、本願寺三河三ヶ寺と一家衆寺院本證寺が荘園時代から既得権として持っていた不入特権と呼ばれる、徴税や警察権や裁判権等の治外法権的恩恵に本願寺教団も潤っていた永禄六年(一五六三)不入特権をないがしろにする事件が起き、二度三度と重なると見過ごす訳にはいかず三ヶ寺が檄を飛ばし門徒一揆を起こした。

血縁が強い家臣団の反応は門徒ゆえひたすら門徒一揆に加わった家臣と、この機に本願寺教団の荘園時代からの既得権を排し、松平本家による一円(一元的)支配を目指す家康を支持する家臣とが家臣団を割って争い、宗教に地縁血縁が複雑に絡んだ争いは門徒一揆側の優勢に推移し、家康の本陣岡崎城に迫るほどだったが永禄七年一月、両軍の主力部隊が激突した馬頭原合戦で勝利した家康に帰参する家臣が増え優位に立った。

その結果、一揆の解体を条件に和睦したが、宗教の怖さが身に沁みた家康は解体に乗じて本願寺教団系寺院を西三河から一掃した上、真宗を禁制にするという厳しい処置をとった一方、信仰は捨てたものと見做し、帰参した家臣をいっさい咎めなかったので元々近しい家臣団の結束が強まり、東西三河一円支配後の道も見えてきた。

その馬頭原合戦で崩れかかった家康陣を襲う一揆勢の横っ腹を狙い、突然現れた百人ほどの塊が大音声を発しながら突撃。一揆勢を混乱させ家康方を勝利に導いて消えた頭領は二年前に同盟を結んだ織田弾正忠信長に違いないと推測した家康が、小牧城を訪ねて礼を言うとオレは知らんと笑っていたが、宗教の必要性は十分知った上で驕る心が生む破壊して止まない牙を取り除くにはどうしたらいいのかを考えるようになった。

   *

「この前川内に出陣したのは様子見だけだが以前、徳川殿が怖がって真宗を根こそぎ排除したように本願寺とは一度、徹底的に対決しておく必要があるのか冶重郎」

と問う信長に「御意」と短く答えて内藤冶重郎は思った。

以前、堺が矢銭を拒否したことを知ったイエズス会が、貿易都市堺の重要性を重んじて急遽、九州で布教活動をしていたロレンソを呼び戻し、説得するため堺に派遣して危機を回避したことはイエズス会が叡山の官房よりも堺の会合衆よりも信長の厄介な性格を知っていたということで、狂気を纏って突撃するのは得意だがズルイのは嫌いだから駆け引きも嫌いな信長が比叡山延暦寺にとった行動は、イエズス会から見れば当然なのだ。

 

ことあるごとに神輿を担ぎ出す山門とその僧兵は曲がりなりにも坊主なのだ。坊主以外は相手にするなと命令が出ているが戦場なのだ。誤って女子供を一人でも殺めたら夥しい女子供が惨殺されたと喧伝され、勢い余って一人でも首を刎ねたら数知れずの刎ねられた首で目を背けるほどの光景とか言われるだろうが叡山えの攻撃は(結果的に焼き討ちになり延暦寺に有った大部な文書を焼失させた謗りは受けるだろうが、大体が文書なんていい加減なもので、都合のよい記憶は誇張し取捨選択する辻褄合わせはご都合主義もいいとこだと思っている冶重郎)坊主が相手だから迷いは無かったが川内は違う。奔放な川内を人の目を気にする川内に変えてしまった報いは当然受けなければならないと思い、いろいろな策を弄してきたがやるとしたら川内の場合、実際に戦って血を流すのは坊主ではなく門徒や百姓なのだ。長島から帰ってきたとき、やるときは徹底的にやる狂気を見せた信長を思い出し今また、やるときは徹底的にやる必要があると口にした信長の言葉に黙した冶重郎と、地形を味方にした川内の手強さを、様子見のイクサで手傷を負った肌で感じている権六との醸す雰囲気で重苦しくなった空気を軽くかき回す声が聞こえた。

「去年の比叡攻めが終わったころから、松永弾正殿が義昭公を頻繁に訪ねなにやら話し込んでいる模様、注意しておく必要があるのではないかと思われます」

とさり気なく言って信長を窺う秀吉。

この男の巡らした網はたいしたものだ感心する冶重郎の脳裏に、芝居とは知らずに誘われて舞台に上がる松永弾正の端整で抜け目のなさそうな顔が浮かんだがそれとも、知っていて退屈しのぎに面白がってにやっと笑う顔も窺えた。人は人に甘えて生きているということを知っている者でも身の退きどころの難しさを思い、平手政秀や斉藤道三の退き際は確かに鮮やかだったが、田屋孫右衛門や山本佐内の身の処し方のままならなさは偶々なのだと思っている冶重郎は、人に甘えることを止める勇気がなさそうなこの面々を笑えない我が身の体たらくを自嘲しながら、何時でも何処でも駆け引きを楽しんでいるように見える男に、「羽柴秀吉殿は幾つになるのかな」と聞いた。

「三十五歳になります」と答えた秀吉にちょっと険しい顔をした信長が言った。

「藤吉郎はいつ羽柴になったのだ? 俺の知らぬ間に」

「えっいやまだ正式には……三郎さまのお許しをえてから……」

という秀吉から目をそらし、「丹羽と柴田で羽柴か、権六は承知か?」と尋ね、「承知のこと」と答えた柴田権六に肯いてそれ以上追及しない信長がこの男に甘いのは、大勢の家臣のうち唯一人嫌な顔をせず真っ直ぐ見返す目のなせる故なのかと思った冶重郎。

ふっと生気のある顔を見せた信長が脇息から身を離して襖に目を移した。

 

小姓が開けた襖の低い位置から顔を覗かせた幼児がしっかりした足取りで部屋に入って来た。続いて入って来た華子が襖を閉めて座った。

「すみませんお話中にお邪魔して、すぐ失礼しますから」

と言って頭を下げ微笑んだ華子。子を生し気ままな娘から大人の女に、芋虫からいきなり蝶に変身したような優雅さに加え二十歳を過ぎ、お市の方とは違った野生的な色香が全身からにじみ出る女になった娘に父親なのに反応してしまった冶重郎。

「蝉丸、こちらにいらっしゃい」と抱き寄せ愛しげに撫ぜていた華子が、「長くは生きられないと言われる父親をもったこの子も長くは生きられないのでしょか」と言った。

「そんなことは無い」とかろうじて冶重郎が言った。

「親は親、子は子なのだ、そんなことは無い」と吾に返った信長も言った。

うろたえる男たちを聞きながし、奇妙丸をチラッと見た華子の肢体が着物の中でしなやかに揺れ、「奇妙丸さまおひさしぶり。ご機嫌いかがです」としっとり笑った。

「機嫌はいつもいい」と言った奇妙丸が声を出さずに笑った。

まるで、地に足が付かなくても生きていける中州のようなこの国で、夜毎の夢精の中を漂っているような男たちを見回した華子が微笑を閉じて言った。

「育てるか処理するかどちらにするのか未だ決めていないの」

「未だ決めてないっていうが、育てているじゃあないか」と叫んだ信長。

「二月までに決めなければいけないの。生んでから一年以上経ったら育てなければいけない決まりがあるの川内には。長く生きられないならひとおもいに……」

と言って蝉丸の頭を優しく撫ぜながらわたしも一緒にと呟いた華子。

「ジジ様にお別れを、蝉丸」止めを刺すように言った華子が男達に頭を下げ、子を抱いた姿態を揺らしてぽっかり口を開けた薄濃の眼窩にすうっと吸い込まれて