勝幡城

天文二十一年(1552)冬十一月。

かつて禁断の交わりがあったあのおぞましい屋敷で近親の交わりが!今。

性にはあくまで峻厳な政秀。

酒にだらしがないように性にもだらしがなければよかったと嘆きながら居城である志賀城にこもり、自分の所為でこんなことにと、身を傷つけるように責め続け、さらに実の兄妹に違いないと自身に止めをさすように決めつける政秀。

そんな日々が続き、正気を保っているのが不思議なほどの政秀の前に突然、一人の少女が現れて言った。「母の仇をなす」

そのわけを聞くと

手篭めにされて女の子を産み、乳飲み子を抱え放浪したすえ野辺に横たわる女は、縋る二歳の幼子に【父の名は平手政秀、母の仇をなせ】と口移しして息絶えた。

と言う。

  *

群雄が割拠する戦乱の世となり、急増する間者の需要に応えてあちこちの貧しい山間の村人が命がけの出稼ぎ。

高じて暗殺者をも養成する忍者の里に迷い込んだ母子。

痩せさらばえ横たわる母に縋る幼子を目に、よくある光景と普段なら見過ごすところを魔が差したのか甲賀の三蔵。

抱き上げ連れ帰ったものの、(子供が二人も居るのに養う余裕がどこにあるのさ)と女房のお直に罵倒されて放り出された幼子を、憑かれたように何度も何度も連れ帰る三蔵が気味悪くなったお直。

トクと言うので涜と名付けられた幼子は、年が替わって憑き物が落ちたかのような三蔵に鐚一文で、忍者を養成する男に売られた。

そして、その男は忍者の中でも需要が高い暗殺者を専門に作っていた。 

売られた幼い体を、日ごと夜ごと弄ぶ鬼畜の所業に耐えられなくなった幼子は、母を求めてポッカリ口を開けた奈落に踏み出しかけたが、嗜虐的な目をした男の首が宙に飛ぶ光景を夢見て踏みとどまった。

血反吐を吐きながら耐え抜き少女になった幼子。

暗殺者に仕立てられた少女が十一歳になったある日男の首を刎ね、色づき始めたモミジを一瞬で真っ赤に染めた同じ刃で夫婦の首を刎ね、ついでに二人の兄弟の首も刎ね、政秀の前に現われたときには、快感に侵された十二歳の女になっていた。

  *

身に覚えが無く以前なら歯牙にもかけない政秀。

しかし、父の名は(平手政秀)もしかしたら前歴がある倅の(平手久秀)かもと弱った心に疑惑が浮かんだ政秀。

少女の幼い心を崩壊させるに違いない背負った怨念が、同時に生きる拠りどころにもなっているのが痛々しく、討たれてやれば開放されるが今後父親殺しの負いを一生背負っていかねばならない。

どうしようかと思案し浮かんだのが碧い目を瞬かせる市姫の姿。

 (こんな異常少女は異常な市姫しか扱えない)

「少女を連れた政秀殿が冶重郎どのに伴われ、たしか霙の降る寒い日の朝に訪ねて来ました」と言って碧い瞳を輝かせた市蝶が、「結論は直ぐ出ました。政秀殿が切腹して少女が介錯する」と言いさらに、「幕を引きたがっている政秀殿と父親殺しの負いを背負わず母の仇をなせる少女。問題は、十二歳の少女に生首を一太刀で打ち落とせるか? 試してみる訳にもいかず、冶重郎どのは何故か首をかしげ、間違いなく判断できる男が姉帰蝶の処に」

訊くと馬は乗れると言う。

わたくしの乗馬着を着せてみたらびったし。

偶々前の日から訪れていたお春が、少女の乱れていた頭を触ったついでに面白がって嫌がるのを構わず、唇にうっすら紅を注したら……

何かが反応した!

暗い陰気な顔が明るく美しい少女の顔に♪

少女の危うさを危惧しながら、

初春の尾州路を勝幡から富田聖徳寺まで愛馬白竜を駆る市蝶。

腰に小太刀、あざやかな手綱捌きを見せ軽やかに続く少女。

これまたあざやかな手綱捌きのお春。

春とはいえ未だ寒い一月末。

どうゆう風の吹き回しか、玄関まで迎えに出た素足の山本佐内が、右手に小太刀を持つ少女の肢体を一瞥。

薄暗い中廊下を歩きながら市蝶の問いに頷いた佐内。

間違いなくと思いながら、わざわざここまで来なくても、内藤治重郎に聞けばわかることなのにと首を傾げ、お春をチラッと見て、「小太刀で」と言ったとき少女と目が合った。

中廊下よりさらに暗い帰蝶の居室に入る。

帰蝶のカスレ声は堂に入り、かたわらに控える者の顔が見たいと、わずかな明りが消され瞬時の闇の中、阿修羅のごとく見開いた少女の目が闇に輝く帰蝶の碧い瞳をしつかり捉えていた。

  

天文二十二年(1553)閏一月/平手政秀切腹.享年六十二歳。

十二歳の少女トクが断った平手政秀の首が、喉の皮一枚残し懐に抱かれるように落ちた見事さは、抱き首としてのちに作法になったほどで、孫かもしれない少女の幸せを願いながら、もしかしたら犯したかもしれないわが子の過ちを背負い、母の仇として切腹した祖父かもしれない父に対するせめてもの手向けだった。

 

ちなみに、立会人は内藤治重郎ただ一人。

少女トクが構えて間が開き、

早く打てと政秀が言った瞬間首が落ちびっくりした表情で懐に抱かれていた。

その時、少女が愉悦の表情を浮かべていたのを目の端に記憶した治重郎

釣瓶①

天文二十二年(1553)夏六月。

暑い夏の日の信長。当年二十歳。

聖徳寺から帰る途中、喉が渇いて勝幡城に立ち寄った信長。

裏門からはいり裏庭の井戸に行くと、釣瓶を手繰っていた少女がいた。

少女に水を所望すると、「水呑をおもちしますから」と言って横目で見た。

その横目の瞳の深い闇に捉われ、「直ぐ飲みたいから口移しで飲ませてくれ」と思わず口から出た本人が吃驚する台詞。

ニッコリ笑った少女は水を釣瓶から口に含み躊躇無く顔を近づけた。

びっくりした信長。

逃げ腰の唇に唇が触れた瞬間ごくりと喉が動いた。

あっとしくじった顔が愛おしくなり名を聞くと、「徳と申します」と答えた少女。

今度は信長が釣瓶から口に含んで、唇から唇に舌から舌に眸を碧く輝かせ何度も何度も注いだのだった。

そしてどちらともなく近くの納屋にもつれるように入っていった

 

お徳が血反吐をはきながら覚えさせられたのは暗殺の技だけではなかった。

女忍のお徳と交わった男は快感が忘れられなくなるという技。

信長も例外ではなかった。

しかしその代償として、つねに身近に男が (女でも代用きるが) いないと生きられないという厄介なものを背負い込んだお徳だったのだ。

ちなみに、男は猪や鹿や野鳥や時には熊など捕獲して里に下り、米や野菜や魚などと交換して食料としていたが、時として不猟続きで食べ物が不足するときがあった。そんなときでも、自分は何も食べなくても少女を飢えさせることはなく、それも忍者を育てる一環のうちだと男が思っていることを少女は感じていた。

それが少女に耐え続けさせた理由のひとつではあった。

一夜城 ①

永禄九年(1566)秋八月十六日。

墨俣の砦に水を滴らせた馬二頭。

先頭の白馬が小六を認めピシッと止まった。

アッ於市御前だ! 

於市御前に違いない! 初めて見るがすぐ分かった小六。

「織田弾正忠殿はいずれに、妹市蝶ただいま参上」

芝居がかったエロさが馬上から降り注いだ。

続く二頭目の馬から素早く下りた乗馬着姿の女が、いつの間にか小六の動きを抑える位置にいるではないか。

唖然とした小六の目に女の濡れた腰の小太刀。

「お取次ぎを」

女の声が気持ちよく小六を打ち抜き正面から目が合った。

下馬する市姫の気配に、

顔は市姫に向けたが目は離れず横目になった女。

呆然と不動金縛りにあったように身動きできない小六。

横目の女の、

不気味に輝く瞳の底知れなく深い闇に、あっという間もなく吸い込まれてしまった小六は何故か、この女を幸せにしたい想いに駆られてしまった。

 

目ざとく駆けつけたのが木下秀吉。

いつでもどこでも、愛嬌のあるねずみ顔で終始周りに気を配る秀吉。

作事奉行になった今年の正月。

新年の宴に始めて列席を許され、筆頭小姓菊丸に木下秀吉どのと紹介され、上げた顔を見た市蝶が、(秀吉殿はよい愛想笑いをなさる)と言って悪戯っぽく笑ったので信長もつられて笑い、満座がほんわかした雰囲気に包まれた。

それ以来市姫にぞっこんと言う。

  *

尾張と京都の間には、容易には越えられない鈴鹿山地が南北に連なり、南の端の鈴鹿峠を超えて京へ向う東海道より、北の端の関が原を通る東山道の方が、冬の雪深さを除けば行き来し易いので、墨俣に砦が築かれたと言われているが実は、聖徳寺から大垣を経て嫁ぐ予定の市姫が、日課として必ず昼寝を取ることを知った秀吉の進言、美濃攻めの拠点を墨俣に築くと言う、もっともらしい口実を信長が笑って頷き、一夜ででっち上げられた、お昼寝用の砦もどきだったのだ。

まあ一夜でできたわけではないが、ゴロがいいから一夜城。

  *

浅井長政との結婚が決まって二年。

市蝶の我侭で延び延びになっていたのだが、近々嫁ぐに違いないと直感した秀吉の勘に、なるほどと感心しながら許可した手前、様子が気になり来ていた信長が、怖い顔して妹市蝶に近づき、

「おんなの来るところではない、帰れ」と大きな声を出しさらに「わけの分からん我侭言って延ばした挙句、三十になる前に嫁ぎたいなどと勝手なことをほざきよって、しかも馬に乗ってだと、ふざけるのも休み休みに言え」

と言って怖い顔で市蝶を睨みつけた。

まあっこわいお顔と震えて見せたが、

「歳のことを言うと姉上に嫌われますよ」と笑って市蝶が言った。

帰蝶は関係ない、帰れ」

と言いながら濡れた乗馬袴に気づいた信長。

「おまえ馬で墨俣川を渡って来たのか! 正気か」

と呆れた顔で言った。

でもと市蝶が「馬で渡れる浅瀬をお徳が知っていたとしても不思議には思わないでしょう」と言うと、お徳の名が出て信長の表情が変わった。

それを見て面白そうに笑った市蝶が、

「ところで帰蝶どのですかここに砦を築かせたのは?」

と妹市蝶が訊くと、

「ばかなそんなこと帰蝶にイクサのことは分からん」

と信長チョットあわてた感じ。

「でも駿河の方を迎え討ったあのとき、清洲から熱田まで初代五郎丸の轡を取って闇を疾走したのは姉上。そして熱田で夜が明けたそのあと、熱田から狭間まで轡を取って兄上を導いたのはお徳」

と言われ戸惑う兄信長の耳元に口を寄せた市蝶が、

「朝倉の一乗谷にお徳と行かなくてはならない訳があるのです」と声を潜め、「今からそのわけを申します」と言った。

「満開の桜花が呼んでいるのは朝倉の一乗谷なの。先の夜、首だけの勘十郎信行様が枕元に現われ、びっくりしているわたくしに、(市蝶殿の輿入り今年の内にしてもらえないだろうか)とおっしゃるので、どうしてですかと訊ねると涙をはらはらと流し、(あれから九年経つのにこの通りまだ成仏できずあの世とこの世の間をさまよっているのです。市蝶殿が今年中に輿入りし、来年桜の咲く頃にお徳と一緒に一乗谷に行ってもらえればわたしは成仏できるのです)と言ってまた涙をはらはらと流したのです。腑に落ちないこと、なぜわたくしが来年桜の咲く頃にお徳と一乗谷え行けば成仏できるのですかと訊きますと、(それがわたしの定めなのです、逆らえない定めなのです)と言って当て所も無く漂う首を見兼ねこうして兄上にお願いしている訳です」ともっともらしく言った。

呆れた信長。

訳の分からない好い加減なことを言っているこの女は、普段の市蝶なのかそれとも時々出てくる於市なのか判断が付きかねた信長。

忘れていた九年前のことまで言われ、嫌な顔をした信長の切れ長の目が、乗馬着姿のお徳を捉えて碧く輝き、五年前の馬競べを思い出した。

 

【前の年(永禄三年)駿河の冶部大輔殿を迎え討ちホッとして馬競べに熱中。競う者がいなくなったのでかねてより何度呼んでも来なかった馬自慢の妹市蝶に声をかけたら、気が変わったのか今度は内藤冶重郎とお徳も連れてやって来た。オレの子に違いないのに子供が生まれてから何故かオレを避けるようになったお徳。傍に居ることを望む俺を頑なに拒否したお徳。いまもオレの顔を見ようともしないので何でだと腹を立てながら首をひねっていたら、足慣らしをしていた市蝶の愛馬白竜が足を痛めてしまった。急遽代わりに気は荒いが走るのは誰にも負けない四郎嵐を薦めたが他の馬には全く乗る気の無い妹。いまさらやめる気はないオレ。互いに譲らず九年前に起きた清洲城の奥の間を思わせるただならぬ雰囲気が漂い困った冶重郎が、「お市さまに代わって三郎さまと」とお徳に乗るように言ったが(そんなこと……)と尻込みするお徳。しかし、(お徳と馬競べ?)バカバカしいとそっぽを向いたオレを見て、(わたしに負けるのが怖いのですか)とお徳が笑いながら言い放ったので(なにお)とムキになったオレが負けた】

 

「供は馬の達者なあの女か」

と言った信長の碧く輝く眸が黒い眸に変わり、「武家の馬は凶暴で見境なく咬む、気をつけて帰れ」と心配そうに言った。

お徳をあの女と言ったとき、

兄信長の眸が碧く輝いたのを改めて記憶した市蝶。

かつて偽りの花嫁姿で(輿に乗って輿入れは一度っきり)と言ったのは、信長に一目ぼれした女心として言ったのに、妹としてしか見てくれないのが悲しく、今度の縁談も兄の保身のために違いないのでちょっと意地悪して延ばしていたけど、好きな気持は変わりない市蝶。

お徳から白竜の手綱を取った市蝶。

「嫁にまいります。ごきげんよう」ときっぱり兄信長に言った。

  

頃合いを図っていた秀吉。

よい愛想笑いを浮かべて近付いてきた秀吉に機嫌よく肯いた市蝶。

髭面の男にも笑顔を見せて市蝶、

ヒラリと跨りヒラッと跨ったお徳を従えびゆーんと宙を飛んで行った。

女はかっこいい男はかっこ悪い

低頭して見送る小柄な秀吉の横でぽかんと口を開けた髭面の男蜂須賀彦右衛門正勝、通称小六は急いでアノ女の噂を集めようと大柄な体を奮わせた。

その後幾度か書状のやりとりがあり結局、

於市御前の世話役内藤冶重郎と信長の近臣島田秀満が揃って小谷の城に出むいて頭をさげ、せっかく花嫁を迎えるために新築した姫屋敷が古家になってしまうことを心配していらいらしていた浅井の事情にも合い、受け入れが決まったのが閏八月二十一日。とりあえず輿入りして婚礼は来春という、時代にふさわしく花嫁の性格にもふさわしい好い加減な筋書きでシャンシャンと決着した。

清洲城

永禄九年(1566)九月十三日。

二年前、三郎信長が小牧城に移ったので清洲城に入った市蝶。

信長の寝室をそのまま使っている市蝶の寝室は、開けられた蔀から差し込んだ十三夜の月明かりで、文が読めるほど明るかった。

いつもではないけど、どちらかが気が向けば、片方もその気になり、布団を並べて寝ることもあり、九月も半ばになりちょっと寒くなったので、掛け布団をたくし上げるようにして首をすくめている市蝶とお徳。

三郎信長の匂いを嗅げると思い勇んで勝幡城から移ってはや二年。

三郎さまの匂いはおろか、痕跡さえも無くなった此処とはもうお別れだわと思いながら、「今夜は明るいから帰蝶殿が覗きに来る心配はありませんね、お徳」と、思わせ振りなことを市蝶が言った。

時として闇を突き聖徳寺から駆けてくる帰蝶

「覗きになんて、そんなつもりで来られるわけはありません」

とお徳が素っ気なく言ったのは息子のことが気がかりだったから。

輿入れの日取りも決まり、荒子の前田家に預けているまだ幼い息子。

もう何年も会っていない息子。

輿入れ行列と一緒に連れて行くわけにはいかない息子を小谷に連れて行くのはどうしたら良いかだった。

お徳の様子にうなずいた市蝶。

「お前の気がかりが子供のことなのは分かっているのよ、お徳」

と言いもって布団から上体をもたげた市蝶。

「三郎さまの血を引くお前の蝉法師は間違いなく弘治元年(1555)生まれですが、同じ三郎さまの血を引く生駒吉乃殿の奇妙丸が同じ年と言うのは、吉乃殿の夫土田弥平次殿が戦死したのが弘治二年(1556)九月なので無理があります。ちなみに、奇妙丸が弘治三年(1557)生まれとするなら、三郎さまと吉乃殿との間に弘治二年 (1556) 九月から永禄元年 1558) 三月までの最長十八ヶ月間に奇妙丸と弟の茶筅丸の二人が生まれたことになり、早産ならともかく辻褄が合いません。でも、馬借を柱に手広く商う生駒屋敷に常々出入りしていた三郎さまと、たまたま実家に帰っていた吉乃殿とが出会い出来た子が奇妙丸なら、元年でも二年でも三年でも辻褄は合います。奇妙丸の父親が誰かは格好な噂話ですが、跡継ぎの話になると、ことさら血筋の正当性を問われ不義が蒸し返され心を惑わされる。蝉法師を預けている前田の家から怪しい影の報せが度々。鬱陶しいだけなら我慢すればすむことですが吉乃殿がこの五月に亡くなられ、いっそう影が激しくなって来たと言う報せ。こちらに引き取って一緒に暮らせばと薦めてもお前は頑なに承知せず、わたくしは前田の迷惑を考え気が気ではありません。輿入れも三十路になる前の潮時。勘十郎君の首がどうとか、朝倉の一乗谷がどうとかとか並べ立て、兄上を怒らせましたがとりあえず小谷への避難はなります」

と言って一息ついた市蝶が布団の上に正座したので、市蝶の訳の分からない長広舌はほとんど聞いていなかったお徳も倣って正座した。

しかしお徳の子供のことは別にして、さしあたり市蝶にとって一番の気がかりは侍女のことだった。

「住み慣れた尾張を離れる決心をするのは容易なことではありません。お前を慕っているお福は心配ないでしょうけど、お香は小谷に来てくれるかしら?」

嫌々ではなく喜んで来て欲しいと思っている市姫が心配顔で、「一番気が置けないお香は傍に居てほしいの」と呟やいた。

でも、もういい年のお香がまだおぼこなのは、お市さまに惹かれているからに違いないと思っているお徳は、「心配することはありません、きっと喜んでお市さまに付いて小谷に来ると思います」と言った。

そうならいいのですが、とちょっと安心した表情を見せた市蝶が、「お春に会えなくなるのもつらいこと」と言つたが、もし見送りに行けなければ輿入れの途中どこかで必ず会いに行くからとの連絡がお春から治重郎に来てはいた。

つまり治重郎が市姫に伝えるのを忘れていたのだ。

そんなことは知らない市蝶。

「それから、長年世話をしてくれた冶重郎どののことはどうしたものでしょう」

「どうしたものと、おっしゃいますと」

と首をかしげたお徳。

「何か、お礼をしたいのですが……」

と市蝶がいたずらっぽそうな顔で言った。

「冶重郎さまは内心お嫁に行って欲しくないのでは!」

と澄まして言ったお徳は、内藤冶重郎が想っているのは、輿から降り尾張の青い空を見上げた十四歳の少女市蝶なのを知っていた。

しかしギリギリだなと治重郎が思ったことはお徳も知らなかった。

そんな治重郎だが、いつもわたしの目を避けているけど嫌われているとは思わないから子供のことは冶重郎さまに相談しようと思ったお徳。

 

内藤冶重郎が顔に似合わない趣味を持っていることは、何となく感じていた市牒だが、何時から持ったのかも知っているに違いないお徳に嫌味を言われたと思った市蝶は、「冶重郎どのがわたくしを想ってお嫁に行ってほしく無いと思っているなら、別れの旅の途中にでも一度くらいコソッと抱かれるのはどうかしら、お礼にならないかしら」とお徳に負けず澄まして言った。

普段は怖がりの市蝶なのに、普段ではない危ないことや面白そうなことはもう一人の於市が不意に出てきてやりたがる。

世話になったお礼だからと誘い、輿入れの途中に肌を合わせるぐらいのことはやりかねないと思っているお徳は、とぼけた顔の内藤冶重郎が少女趣味なのは紅を注された十一歳の時から知っていたので、お市さまに誘われ戸惑う姿を見たくもあり、「お好きなように」と素っ気なく言った。

「まあっ愛想のないこと」

と言ってお徳の手を取り引き寄せた市姫。

「この旅を区切りにきれいな体で出なおしましょう。これがさいご」

と言われちょっとあがらったお徳だけど……

関が原①

ねちょつと素肌に絡みつく白い闇をやみくもに切り裂き浮かび上がりながら、此処が大垣城できのう聖徳寺から着いたのでしたと市蝶が思い到ったのは、挨拶に顔を出した氏家直元の(なるほど)と云う顔と、(大垣に泊まって大丈夫か)と言いたそうな治重郎の顔が同時に浮かんだからだったが、(変わりやすい天気が人を敏感で繊細にするのかしら)とお徳が閨の中で呟いていたのをほっこりした寝床の中で略脈もなく思い出しながら、浅井に嫁ぐ朝が何時もと同じように何事も無く明けつつあるのが不思議だった。

  

永禄九年(1566)九月二十九日。

よく晴れた明け六つ半。大垣城を発って関が原に向かう。

ちなみに、のちの関ケ原の合戦の東軍は大垣城から関ケ原に向かった。

総勢十九人馬四頭

馬上の花嫁  於市御前  

同じく供頭  内藤冶重郎

徒の供侍六人

林 秀貞 家臣 佐野信利  

佐久間信盛 家臣 鈴木貞道  

織田信次 家臣 山本佐内

柴田勝家 家臣 内田宗友  

丹羽長秀 家臣 中山右門 植木六衛門

侍女六人

於市御前付 お徳 お福  

織田信次付 お藤 

木下秀吉付 お玉 

内藤冶重郎付 お香 

森 可成付 お梅

他 中間三人 小者二人 駄馬二頭 

織田弾正忠旗下、重臣武将及び連枝派遣の寄せ集め行列。

 

秋から冬にかかった旅立ちの朝。

何時もはずぼらなのにさすがに市姫の旅立ちともなれば遅れるわけにいかず、早く来すぎて城門の前に所在無く立っている内藤冶重郎。

やがて駄馬を引いて姿を見せた中間たちが、「おはようございます」と治重郎に挨拶したのに続いて五人の供侍がぶらぶらとやって来た。

その後から、奥の方付きなのに、届け出では何故か織田信次家臣となっている山本佐内(美濃から付いてきた市姫の用心棒、嘗ては道三の暗殺者)のやや猫背の姿を認め何故陰の男がこんな所にと改めて首をかしげた冶重郎。

程なく、馬に乗った市姫が侍女たちに囲まれ現われた。

冶重郎の姿を見て安心したようにニコッと笑った市姫。

もう治重郎の好みではないけど

治重郎の好きな頤をことさら露わにして空を見上げた馬上の市姫。

同じように空を見上げた治重郎。

輿ではなく馬に乗って輿入れの市姫。

訳はともかく、市女笠を手にしたにぎやかな侍女たちと、中間が掲げる薙刀を従えた市姫に「よく寝られましたか」と言って珍しく笑った冶重郎。

大垣に現地集合した一団。

供頭の内藤冶重郎が五郎丸に騎乗したのを合図のように、チョットそのあたり紅葉狩りにでもそんな風情でのんびり旅立った。

てんでに好きなように歩いていた一団は、町並みを通り東山道に出たところで治重郎が先頭に立ちそれらしく行列をなした一行。

見送りと警護を兼ね、仲人稲葉良通の手勢がどこからか現れ、整然と隊列を組んで一行に続いた。

見るからに締まりのないい輿入れ行列は、関が原にかかる手前、朽ちた廃寺を立て替えて間もない、木の香が漂う西来寺に到着。

日課のお昼寝をとる市姫が侍女たちを伴い庫裏に入り休憩。

供侍たちはいい天気なので本堂には入らず、中間や小者たちも混じって色づいた紅葉の下に座り、竹筒からお茶を飲みおにぎりの弁当を食べている。

ちなみに共侍と中間と小者はみんな同じ弁当なのだ。

しかしまさか、市姫も同じ弁当とは思えず、では侍女たちはどうなんだろうと想像していた共侍がいたのかどうか……

「ことしの夏はいい天気が続いたから色付きがいい」

と鈴木貞道が言った。

「本当か?物知りだな。確かに色具合はいい」

と佐野信利が言った。

「モミジはきれいだし天気もいい」

と内田宗友が言った。

「モミジもいいが早く琵琶湖が見たいな六衛門」

と中山右門が言った。

じつに平和でのんびりした共侍たちなのだ。

年かさの三人も若い中山右門と植木六衛門の二人もみんな次男以下で、イクサに行って手柄を立てる根性もなく、ごくつぶしあつかいの厄介者なのだ。

みんなずぼらだから訳の分からん旅なんか行きたくなかったが、指名されて仕方なくだが、家にいても肩身が狭いので志願したものもいる。

そんな共侍のうち一人離れて弁当を食べているのが異色の山本佐内。

そんな山本佐内の中窪みの横顔を、やれやれあぶなかったとばかり、厠から出てきた内藤治重郎がチラッと見た。

あのとき

川内から帰って美濃に行き、安藤守就の案内で馬を御す娘に見とれていたらフイに現れた山本佐内が、聞きもしないのに姉妹の秘密をにおわせたのだった。

未だにそのわけが分からない冶重郎も本堂には入らず、皆にと同じ弁当を食べ、手枕で横になって寝入った。

 

それから半時を過ぎたころ、女たちのざわめきが庫裏の奥から聞こえた。

真っ先に乗馬着姿の市姫が深紅の陣笠を被って現れた。

(陣笠と言っても、普通の陣笠とは全く違い、厚みを持った曲線で構成された優雅な作りは堺仕立てで、黒地の織田木瓜紋が輝いている)

颯爽たる市姫に続く侍女達。

着る物も被り物もばらばらな供侍達に較べ、小袖は思い思いだが短い丈の内掛けで揃え、市女笠をかぶり元気いっぱいなのは弁当のおかげか。

「似合うかしら」と見せ合い、「顔が見えないから似合うわよ」とムシの垂絹は付いて無いが深い市女笠で隠れた顔がはしゃいでいる。

そんななか、朝から下痢気味で、お腹を抱えて弱っている若い侍女のお福をはげましながら、最後尾から出てきたお徳。

薄暗い庫裏から出た瞬間、真っ赤に色づいたモミジに反射した陽光が一点に集まり市女笠をつきぬけ、あの症状が襲ってきた。

 (ああっ)アノ時の思い出してはいけない快感。

まだ青かったモミジが、少女お徳が刎ねた五つの首から噴き出た鮮血で真っ赤に染まった一瞬の快感の記憶。

息苦しくなったお徳が笠を上げた視線の先に運悪く居たのが中山右門。

目を閉じる間もなく眸の奥を射抜かれ、この女を幸せにしたいと思ってしまった中山右門。いうなら小六と同じ症状。

直射は免れたが中山右門の隣にいた住職。

市目笠から覗いたお徳の表情にギョッとして息を呑んだ住職の合掌を後に、休憩し弁当も食べ元気が出た行列東山道に出ると、並んだ稲葉良通の手勢に、「ではお気をつけて」と見送られ、エッ関が原を越した藤川の里までの段取りのはずでは、と思ったが問い質すのもめんどうで、もし山賊なんかに襲われても山本佐内もお徳もいるしまあいいかと肯いた冶重郎。

関ケ原にかかると薙刀が揺れ若い落ち葉がサクサクと鳴る。

だらだら上る薄暗い山道を歩き続けるといつしか視界が開け、周りを山に囲まれた関が原盆地に出た。

冬には雪深い高原盆地を通り、やがて真っ直ぐ行くと京へ向う東山道から右に折れ、藤川を経て小谷に通じる街道に入った。

 

間道①

永禄九年 (1566) 九月二十九日

藤川の里は朝から晴天だった。

木下秀吉に手を取られ(お市さまのおぼしめしにかなうよう骨を折ってくれ)と頼まれたのが八月の末。

お市様はともかくあの女の為ならと思った小六が、小六組の郎等を引き連れ、関ケ原を越し近江に入って最初の集落藤川に来ていた。

雲一つない青ぞらに、

「気持ちいい天気だ。関が原も上天気だろう」と小六が言ったら、空を見上げていた里人の弥平が、「雪がくるな」と言った。

「びっくりした小六。

「なぜだ、雲ひとつ無いのに」

と空を見あけて怪訝な小六。

「風に雪のにおいがする」

と言って花をぴくぴくさせた弥平。

「琵琶湖のむこう、海からの風に乗ってやってくる雲がこの辺りから雪雲に変わり、風の通り道関が原で今日はたぶん昼ごろからドカッと落ちる」

と言った弥平がさらに

「もっともドカッときても一時の雪だから動かなければ大丈夫」

と言った弥平が心配そうに

「間道に迷い込んだとき地吹雪が来ると何も見えなくなる。その時うろたえ、やみくもに動いたら間道のさらに間道に迷い込み危ない」と言った。

改めて空を見上げた小六。

そんなことは無いだろうとは思ったが、地形がわずかな距離で空の模様を激変させ、人の行動をも支配してしまうことは知っていた。

「外れそうな分かれが何箇所かある」

と言って弥平がむつかしい顔をしたので心配性な小六血気が引いた。

改めて。尾張と京を隔てて南北に鈴鹿山脈が連なっている。

南の端の鈴鹿峠を越えて京へ行く東海道より、北の端の関が原を通る東山道のほうが行き来し易いのでとりあえず墨俣に拠点の砦を構えたということはお徳も知っていた。しかし雪が深いのが難点だった。

降り出したら一気呵成だ関が原の雪。

その怖さはお徳も知っていた。

幸い雪の心配もなく関が原盆地を無事に抜けた一行は、近江の藤川に向かう街道に入り、細い山道をだらだらと下りはじめた。

しばらく行った先で迷いやすい間道との別れに差し掛かかった。

差しかかったとたん、まるで一行を待っていたかのように、なんと季節はずれの雪がドカッと行列をめがけ落ちてきた。

「雪だ!合羽をお徳」と冶重郎が反射的にさけんだ。

一瞬で辺り一面が真っ白になった。

でも、お徳が周りを見渡すと雪が降っているのは行列の周りだけ。

一瞬幻覚かと思ったお徳。

そうではないと合羽を積んだ駄馬に急ぎ足で向かったとき、嫌な気配を背中に感じ半身向けたお徳のの横目に映ったのは、白竜が後ろ足を蹴上げ、乗っていた市姫がアッと叫んで振り落とされたところだった。

雪が舞い、木狐紋の陣笠が飛び、市姫の形相が変わった。

スパッと抜いて白刃をかざした於市。

ダメと叫んで踵を返したお徳の市女笠が飛んだ。

慌てて下馬した冶重郎も間に合わず、振り下ろされた白刃でズバッと白竜の首が断たれ、噴き出した鮮血が雪を染めた。

「まあっきれい」

と於市さまの喚声が場違いに響いた。

まあっきれいだってよく言うわとあきれたお徳。

それにしても

人の首を刎ねるのは得意だが、馬の首は断ったことがないお徳。漫然と断たれた白竜の首を見ていた視線を外し辺りを見回すお徳。

悲鳴を上げて右往左往するだけの一行を、何とか落ち着かせようとしたお徳が視線を感じ振り向いたら、お徳を見ている山本佐内の姿があった。

またして不覚にもお徳。

山本佐内の姿に気を取られた一瞬、絶たれた白竜の首に驚いたのか、五郎丸が雪を蹴立て来た道を一目散。それにつられ合羽を積んだ駄馬までも、小者太平が持つ手綱を振りほどき、五郎丸を追って遁走。

重なる不手際に一瞬呆然としたがそこは女忍、終わったことと気を取り直したお徳の目に入ったのは、雪まみれで立つ市姫。

握るヤイバの刃文からツウッと垂れ、雪に滲みた潜血に見入る市姫の、固まった右手にハアッと息を吹きかけ、小指を引っ張って小太刀をもぎ取り、血濡れたヤイバを片膝立てた着物の裾で一気に拭き取ったお徳。

白い静寂をチーンと鎺で裂いて鞘に収め帯にすっとさした流れのなかで一瞬の裾の乱れ、黒い脚絆の膝の端から奥にちらっと覗いた真っ白い腿の生足。

見てしまった山本佐内の脳裏に焼き付いた。

 

そんな行為をしながらお徳の横目は見ていた。

五郎丸の後を追って駄馬まで逃げ(合羽がなくては)と呟いた冶重郎が引き返しそうな素振りを見せたのを。

咄嗟にいつの間に作ったのか隠し持った雪ダマを投げたお徳。

さすが忍者。

たまたま西来寺でお徳と目が合った若い侍が隣にいたので手品のように取り出した雪ダマを渡し、横目で促すとしゃにむに投げた。

両手で風車のように雪玉を投げるお徳。

その一つが間道との別れに佇む於市をかすめ爆発した。

間道で爆発した。

爆発した雪玉に引き込まれるように間道に入って行く於市。

まるで定めのような薄い笑みを浮かべる於市に、引きこまれるように続く侍女お香。そのあとを仕方なくふらふらと続く一行。

首をかしげた内藤冶重郎。

雪ダマを投げたお徳を目の端に捕らえていた治重郎は、この雪もこの地吹雪もお前のの幻術では無いかと言わんばかりの表情でお徳を見ていた。

 

とにもかくにも間道に入ってしまった行列。

その一瞬、絵に描いたように前方から襲い掛かってきたひときわ強い風が猛烈に雪を巻き上げ、白い闇に一行の視界が塞がれた。

「きゃあっ」

と嬌声にも聞こえる女たちの悲鳴。

いつものことだが、女に煽られた男たちが闇雲に白い闇を掻き、いく先も定めず列から離れようとする気配がした。

「動くなかたまれ」

と山本佐内が白い闇の中から叫んだ。

それに合わせて治重郎の怒声も響き、とりあえず動くのをやめた一行。

そんなバタバタの中、

体を震わせお徳に縋り付いている市姫。

「お香は浅井に留まるのかしら」

と脈絡もなく市姫が言ったのは恐怖を紛らわせるためだろうがお徳には、「無事に行き着けたら尾張のことは忘れお互いにきれいな体で出直しましょうね、お徳」と行き掛けの駄賃のように言った。

  *

那古野城で初めて迎える元旦の闇を漂い去年(永禄元年/1557)の十一月、清洲城の奥の間で、血塗れた抜き身を握った市蝶さまを、呆然と見ているだけの三郎さまを退け、固まった指を開いてもぎ取り、血の滴る勘十郎君に頬擦りしている身重のわたしから生首を取り上げたのは駆けつけた冶重郎さまだったと、赤子の寝息で思い出したお徳。

三郎さまの心配そうな父親顔も浮かんだのに、勘十郎君のすべすべした肌を懐かしがっている自分が不安になり、お市さまの豊かで暖かな胸に顔を埋めたら安心できるなんて図々しいにも程がないが、時として思い出しぞっとするのは、冷たくなった母との別れと、刎ねた首が高く舞い上がる快感》

  *

風も止んで雪も止み音が止んで時間も止んだが寒さは止まない。

震えながらこのままじっとして小便臭にまみれ凍え死ぬくらいなら、歩いているほうがましなのでよたよた歩き続ける一行。

やがて

遮る濃い霧の中に蠢いていた遠い灯りが急に目の前に現われた。

お市さまの輿入れとお見受けしたが」

と大きな影が大声で言った。

「さよう」

と答えた冶重郎を照らした龕灯がくるりと返り髭面が現れた。

お市様をお迎えにまいった。わしは木下秀吉が手の者蜂須賀正勝、通称小六」

よく通りはっきりした声と龕灯に映える白い歯。

むかし、春の日の木曽川の激流にうねる筏の上で遠くキラリと光った白い輝きの記憶につながり安心した気持が小六の手をぎゅっと握った。

握った手をさらに強く握り

「供頭の内藤冶重郎、遅いぞ」と理不尽に文句を言った。

「すまん」

と言った小六が白い闇を透かし、「見たところ馬がいないがおなご衆はみんな無事か」と不安を露わに女の安否だけを訊いた。

「馬は死んだ。みんな無事だが於市さまは足を痛めている」

と冶重郎が言って市姫を指した。

「無事か!お市様が足を痛めているならかごがある」

と言いもって市姫に寄り添う女を墨俣で出会った女と見定めホッとした小六が後ろの闇に大声で呼んだ。

「源次郎~かごと吾助を前に、かごと吾助を早くここに」

白い闇から町駕籠と若者が現れた。

吾助という名で呼ばれた二十前後の若者。肩幅が異状に広く、着物越しに筋肉の盛り上がりが窺えるほどの異型夫。

「姫様を駕籠え、姫様は足を傷めている」

と言って小六が指差した市姫にすっと近寄っ吾助が、声もかけずいきなり根こそぎ横抱きにふわっとすくい上げた。

(あっと)声を出す間もない市姫。

唖然とする市姫が両手であがらう間も与えず、くクルッと踵を廻した吾助が、まるで赤子を扱うようにかがみこんで駕籠のなかにそっと下ろした。

軽くはない市姫を赤子のように扱う吾助の怪力に治重郎もアングリ。

それを見たにんまりした小六が、お徳にもたれ見るからに弱っているお福が腹下しと聞き、懐から薬らしきものを取り出し素早く飲ませた。

「まあありがとうございます」

お徳に礼を言われ気を良くした小六が吾助を呼んだ。

弱っているなら吾助におぶわせ雪道を下るという小六の算段に、「恥ずかしいからいや」と逃げ腰のお福に笑いをこらえるお徳。

緊急の場合だし「吾助が歩きにくいから」と、あがらうお福にかまわず、吾助の背中にことさらぴったりお福を括り付けお徳を窺う小六。

笑いをこらえながら小六に頷いたお徳。

 

市姫を乗せた駕籠に風雪よけの桐油紙を被せ準備が整った。

小頭源次郎の合図でゆらりと駕籠が持ち上がった。

市蝶もゆらりと揺れ、揺れながら宙に浮いてクルッと回った幼い記憶は、すべてをゆだねる快感と共に常に心の中心にあった。

それはともかく、

抱き上げられたとき間近に見た吾助という若者の碧い眸を改めて記憶した市蝶は、揺れる駕籠の真っ暗な中で、右足首を撫ぜながら、乾いた足袋に履き替えようと奮闘していた。  

「あわてるな、里は近い」

小六の大音声が暮れ始めた山間にこだまし、「寒いのもいま少しの辛抱」と揺れる松明の明かりに揺れる駕籠に向って付け加えお徳を窺った。

知恩寺

永禄九年(1566)九月二十九日。

暗くなって藤川の知恩寺に辿り着いた一行。

お春の笑顔が提灯の明かりに浮かびホッとしたお徳。

お市さまお春さんが居ますよ」と駕籠に声をかけめと、「ほんとよかった」と市姫の声が弾んだ。

吾助の背から下ろされお腹をかかえるお福。

「大丈夫なの」と気遣うお春に、「お福を厠に連れてっていただけませんお春さん」とお徳が頼んだ。

庫裏の前に駕籠が降ろされた。

桐油紙を取り除いてわきに控えた源次郎。

向いに控えた侍女が市姫に声もかけず乱暴に簾を上げた。

おやっと女の顔を見ると幼いころ急にいなくなった母親に良く似ていたので、こんなことがあるのかと戸惑う源次郎。

駕籠から降りた市姫を揶揄するように小六が、「吾助に抱っこされなくて大丈夫ですか?」と大声で言った。

一瞬、腰に小太刀があれば一刀両断にしかねない表情を見せた市姫だが、ふっと和らぎお徳に縋った手を離し玄関から入って行った。

見送った供頭内藤冶重郎は供侍達と本堂に向った。

 

冷え切った体の震えが止まらない市蝶。

お徳が付添い湯殿に来てみたら何時も入っている蒸し風呂ではなく、太い竹筒を通った湯が湯船に満々と溢れていた。

「こんなお風呂初めて。大丈夫かしらお徳」

と言ってこわごわと入る市蝶。

入ってみると冷え切った体に良いあんばいのお湯加減に、心地よく眠気を誘いウトウトっとした市蝶。

「寝てはダメですよお市さま」

と湯文字姿で控えるお徳が声をかけた。

「一緒に入りましょうお徳」

と市姫が誘ったがあんなひどいこと言っといてと首を振るお徳。

「死にそうになったのですもの、これがさいご」

と促され、それならとあっさり湯文字を外し湯船に入ったお徳。

湯船のなかでいちゃつく声を焚口で聞いたかま焚きの吾助が、おれの湯の中でチャラチャラしたらダメだと眉を顰めた。

中の二人はそうなのそうですよとぼそぼそ声に変わり、小窓がコトッと開いて女が上気した顔を出しギョットした吾助。

顔を出した女が、「ゴスケさんですね、お市さまを抱っこしてくれた」と言うと、

返事の代わりにゴスケの湯が竹筒からあふれ出た。

やっぱりと言って顔が市姫に入れ替わった。

「お前に抱っこされていい気持でした。この湯もいい気持」と市姫が言うと、

ふいごに煽られた火が勢いよく熾りゴスケの湯がいっそうあふれ出た。

「お前に背中を流してもらったらさぞ気持がいいでしょうね」

と言う笑い声が本気のいちゃつき声に変わり遠慮ない声が焚口に襲い掛かり、竹筒からは怒りの湯があふれつづけた。  

  *

供侍達の寝処は本堂。

本堂より一段低い裏手にある物置を改造して男達の風呂と手水をつくり、その隣の物置に中間・小者の寝処をつくったのは小六組の仕事だった。

一泊だけのためのたいそうな造作が役に立つとは、まつたく世の中何が起こるか分からんと思いながら風呂に入っている治重郎。

翌九月三十日に姉川を越した極楽寺まで行き、一泊して小谷まで二日がかりで行く

予定だったが、雪の疲れを癒すため藤川にもう一泊するこを周りに伝え、やれやれと吾助の湯を肩にかけホッとしている冶重郎。

風呂場の外から、「湯加減はいかがかな、冶重郎殿」

と声がかかった。

「おうっ小六殿かいい湯だ。湯を扱っているのはあのゴスケという男か?」

と冶重郎か聞くとそうだと小六が答えた。

「すばらしい」と冶重郎が感心したのは、巨大な三段仕掛けのカマに手製のフイゴが生み出す湯を竹の筒の樋を使い湯船まで温かいまま運ぶ装置だった。

しかも此処だけではなく庫裏の湯殿にも送っているのだ。この事態を予期したとしたら「天才だ」と冶重郎が改めて感嘆した。

「吾助に伝えておく」と嬉しそうに言った小六が、「相談がある」と言った。

ほどなく「いい湯だった」と出てきた冶重郎が、「なにかな」と聞いた。

脱衣場で立ち話しになった。

「足を痛めて馬に乗れなくなった市姫を乗せるための輿をつくるから一日くれ」と小六が言った。

ここにもう一日いることを決めたことが小六には伝わっていなかったんだと思いながら「輿をつくる一日で?どういうことだ」と冶重郎。

「この先の大野木の神社にある神輿を輿に作り変える」

と小六が自信ありげに言った。

「そんな簡単に輿に出来るとは思えないが」

と首をかしげる冶重郎。

「出来る」と胸をはった小六

姉川からの帰り大野木の神社に参りそこにあった神輿を見た。一緒にいた源吉という棟梁が(珍しい神輿だ。四本の柱で屋根を支え人が乗れる構造だ)と言っていた」だから出来ると小六が言った。

なるほど。

しかし新品の輿がここに来ている筈だが……。

小六が言わないのは輿を作りたいからなのか何故?

何故かわからないが、助けてもらったことだし肯いた冶重郎。

 

治重郎の声を聞き隣の物置小屋から小者太平が顔を出した。

合羽を積んだ駄馬の手綱を離してしまったことを上目遣いで詫びる太平。

今更何が目的で詫びるのかと太平を見ていたら(あなたは人を褒めることを知らない人ですね)と笑うお小夜の顔がフイに浮かび、長年褒めたことがなかった太平を褒めたい気持が湧いた冶重郎。

大事な用事をお前に頼むと、事情をしたためた書状二通(極楽寺に先乗りとしている明智光秀宛と小谷の浅井長政宛)を太平に託した。

特に小谷の浅井長政には直接渡すのがお前の役目と難しいことを言うと、太平は上目遣いに嬉しそうに笑った。

あくる九月三十日。暁七つ。寝ずに時を待った太平。

途中まで弥平の倅が持つ提灯の案内。(あとは一本道)言葉を背に小谷を目指し明けやらぬ近江路を駆けて行った。

  *

同じく九月三十日。明六つ。

太平は太平として正式な使者を送る内藤冶重郎。

供頭内藤冶重郎名の書状(明日一日で小谷まで行く旨)をそれぞれ一通ずつ携えた三人、中山右門と植木六衛門、それに何故か山本佐内。

(三人も必要ないのに)と不満をもらす右門だが(大事な用事だから)と取り合わない冶重郎。

「では頼む」と姉川を超した辺りに建つ極楽寺を目指す三人を見送り、昨夜はほったらかしで気になっていた庫裏を窺った。