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知恩寺①
永禄九年(1566)九月二十九日。
暗くなって藤川の知恩寺に辿り着いた一行。
お春の笑顔が提灯の明かりに浮かびホッとしたお徳。
「お市さまお春さんが居ますよ」と駕籠に声をかけめと、「ほんとよかった」と市姫の声が弾んだ。
吾助の背から下ろされお腹をかかえるお福。
「大丈夫なの」と気遣うお春に、「お福を厠に連れてっていただけませんお春さん」とお徳が頼んだ。
庫裏の前に駕籠が降ろされた。
桐油紙を取り除いてわきに控えた源次郎。
向いに控えた侍女が市姫に声もかけず乱暴に簾を上げた。
おやっと女の顔を見ると幼いころ急にいなくなった母親に良く似ていたので、こんなことがあるのかと戸惑う源次郎。
駕籠から降りた市姫を揶揄するように小六が、「吾助に抱っこされなくて大丈夫ですか?」と大声で言った。
一瞬、腰に小太刀があれば一刀両断にしかねない表情を見せた市姫だが、ふっと和らぎお徳に縋った手を離し玄関から入って行った。
見送った供頭内藤冶重郎は供侍達と本堂に向った。
冷え切った体の震えが止まらない市蝶。
お徳が付添い湯殿に来てみたら何時も入っている蒸し風呂ではなく、太い竹筒を通った湯が湯船に満々と溢れていた。
「こんなお風呂初めて。大丈夫かしらお徳」
と言ってこわごわと入る市蝶。
入ってみると冷え切った体に良いあんばいのお湯加減に、心地よく眠気を誘いウトウトっとした市蝶。
「寝てはダメですよお市さま」
と湯文字姿で控えるお徳が声をかけた。
「一緒に入りましょうお徳」
と市姫が誘ったがあんなひどいこと言っといてと首を振るお徳。
「死にそうになったのですもの、これがさいご」
と促され、それならとあっさり湯文字を外し湯船に入ったお徳。
湯船のなかでいちゃつく声を焚口で聞いたかま焚きの吾助が、おれの湯の中でチャラチャラしたらダメだと眉を顰めた。
中の二人はそうなのそうですよとぼそぼそ声に変わり、小窓がコトッと開いて女が上気した顔を出しギョットした吾助。
顔を出した女が、「ゴスケさんですね、お市さまを抱っこしてくれた」と言うと、
返事の代わりにゴスケの湯が竹筒からあふれ出た。
やっぱりと言って顔が市姫に入れ替わった。
「お前に抱っこされていい気持でした。この湯もいい気持」と市姫が言うと、
ふいごに煽られた火が勢いよく熾りゴスケの湯がいっそうあふれ出た。
「お前に背中を流してもらったらさぞ気持がいいでしょうね」
と言う笑い声が本気のいちゃつき声に変わり遠慮ない声が焚口に襲い掛かり、竹筒からは怒りの湯があふれつづけた。
*
供侍達の寝処は本堂。
本堂より一段低い裏手にある物置を改造して男達の風呂と手水をつくり、その隣の物置に中間・小者の寝処をつくったのは小六組の仕事だった。
一泊だけのためのたいそうな造作が役に立つとは、まつたく世の中何が起こるか分からんと思いながら風呂に入っている治重郎。
翌九月三十日に姉川を越した極楽寺まで行き、一泊して小谷まで二日がかりで行く
予定だったが、雪の疲れを癒すため藤川にもう一泊するこを周りに伝え、やれやれと吾助の湯を肩にかけホッとしている冶重郎。
風呂場の外から、「湯加減はいかがかな、冶重郎殿」
と声がかかった。
「おうっ小六殿かいい湯だ。湯を扱っているのはあのゴスケという男か?」
と冶重郎か聞くとそうだと小六が答えた。
「すばらしい」と冶重郎が感心したのは、巨大な三段仕掛けのカマに手製のフイゴが生み出す湯を竹の筒の樋を使い湯船まで温かいまま運ぶ装置だった。
しかも此処だけではなく庫裏の湯殿にも送っているのだ。この事態を予期したとしたら「天才だ」と冶重郎が改めて感嘆した。
「吾助に伝えておく」と嬉しそうに言った小六が、「相談がある」と言った。
ほどなく「いい湯だった」と出てきた冶重郎が、「なにかな」と聞いた。
脱衣場で立ち話しになった。
「足を痛めて馬に乗れなくなった市姫を乗せるための輿をつくるから一日くれ」と小六が言った。
ここにもう一日いることを決めたことが小六には伝わっていなかったんだと思いながら「輿をつくる一日で?どういうことだ」と冶重郎。
「この先の大野木の神社にある神輿を輿に作り変える」
と小六が自信ありげに言った。
「そんな簡単に輿に出来るとは思えないが」
と首をかしげる冶重郎。
「出来る」と胸をはった小六
「姉川からの帰り大野木の神社に参りそこにあった神輿を見た。一緒にいた源吉という棟梁が(珍しい神輿だ。四本の柱で屋根を支え人が乗れる構造だ)と言っていた」だから出来ると小六が言った。
なるほど。
しかし新品の輿がここに来ている筈だが……。
小六が言わないのは輿を作りたいからなのか何故?
何故かわからないが、助けてもらったことだし肯いた冶重郎。
治重郎の声を聞き隣の物置小屋から小者太平が顔を出した。
合羽を積んだ駄馬の手綱を離してしまったことを上目遣いで詫びる太平。
今更何が目的で詫びるのかと太平を見ていたら(あなたは人を褒めることを知らない人ですね)と笑うお小夜の顔がフイに浮かび、長年褒めたことがなかった太平を褒めたい気持が湧いた冶重郎。
大事な用事をお前に頼むと、事情をしたためた書状二通(極楽寺に先乗りとしている明智光秀宛と小谷の浅井長政宛)を太平に託した。
特に小谷の浅井長政には直接渡すのがお前の役目と難しいことを言うと、太平は上目遣いに嬉しそうに笑った。
あくる九月三十日。暁七つ。寝ずに時を待った太平。
途中まで弥平の倅が持つ提灯の案内。(あとは一本道)言葉を背に小谷を目指し明けやらぬ近江路を駆けて行った。
*
同じく九月三十日。明六つ。
太平は太平として正式な使者を送る内藤冶重郎。
供頭内藤冶重郎名の書状(明日一日で小谷まで行く旨)をそれぞれ一通ずつ携えた三人、中山右門と植木六衛門、それに何故か山本佐内。
(三人も必要ないのに)と不満をもらす右門だが(大事な用事だから)と取り合わない冶重郎。