関が原①

ねちょつと素肌に絡みつく白い闇をやみくもに切り裂き浮かび上がりながら、此処が大垣城できのう聖徳寺から着いたのでしたと市蝶が思い到ったのは、挨拶に顔を出した氏家直元の(なるほど)と云う顔と、(大垣に泊まって大丈夫か)と言いたそうな治重郎の顔が同時に浮かんだからだったが、(変わりやすい天気が人を敏感で繊細にするのかしら)とお徳が閨の中で呟いていたのをほっこりした寝床の中で略脈もなく思い出しながら、浅井に嫁ぐ朝が何時もと同じように何事も無く明けつつあるのが不思議だった。

  

永禄九年(1566)九月二十九日。

よく晴れた明け六つ半。大垣城を発って関が原に向かう。

ちなみに、のちの関ケ原の合戦の東軍は大垣城から関ケ原に向かった。

総勢十九人馬四頭

馬上の花嫁  於市御前  

同じく供頭  内藤冶重郎

徒の供侍六人

林 秀貞 家臣 佐野信利  

佐久間信盛 家臣 鈴木貞道  

織田信次 家臣 山本佐内

柴田勝家 家臣 内田宗友  

丹羽長秀 家臣 中山右門 植木六衛門

侍女六人

於市御前付 お徳 お福  

織田信次付 お藤 

木下秀吉付 お玉 

内藤冶重郎付 お香 

森 可成付 お梅

他 中間三人 小者二人 駄馬二頭 

織田弾正忠旗下、重臣武将及び連枝派遣の寄せ集め行列。

 

秋から冬にかかった旅立ちの朝。

何時もはずぼらなのにさすがに市姫の旅立ちともなれば遅れるわけにいかず、早く来すぎて城門の前に所在無く立っている内藤冶重郎。

やがて駄馬を引いて姿を見せた中間たちが、「おはようございます」と治重郎に挨拶したのに続いて五人の供侍がぶらぶらとやって来た。

その後から、奥の方付きなのに、届け出では何故か織田信次家臣となっている山本佐内(美濃から付いてきた市姫の用心棒、嘗ては道三の暗殺者)のやや猫背の姿を認め何故陰の男がこんな所にと改めて首をかしげた冶重郎。

程なく、馬に乗った市姫が侍女たちに囲まれ現われた。

冶重郎の姿を見て安心したようにニコッと笑った市姫。

もう治重郎の好みではないけど

治重郎の好きな頤をことさら露わにして空を見上げた馬上の市姫。

同じように空を見上げた治重郎。

輿ではなく馬に乗って輿入れの市姫。

訳はともかく、市女笠を手にしたにぎやかな侍女たちと、中間が掲げる薙刀を従えた市姫に「よく寝られましたか」と言って珍しく笑った冶重郎。

大垣に現地集合した一団。

供頭の内藤冶重郎が五郎丸に騎乗したのを合図のように、チョットそのあたり紅葉狩りにでもそんな風情でのんびり旅立った。

てんでに好きなように歩いていた一団は、町並みを通り東山道に出たところで治重郎が先頭に立ちそれらしく行列をなした一行。

見送りと警護を兼ね、仲人稲葉良通の手勢がどこからか現れ、整然と隊列を組んで一行に続いた。

見るからに締まりのないい輿入れ行列は、関が原にかかる手前、朽ちた廃寺を立て替えて間もない、木の香が漂う西来寺に到着。

日課のお昼寝をとる市姫が侍女たちを伴い庫裏に入り休憩。

供侍たちはいい天気なので本堂には入らず、中間や小者たちも混じって色づいた紅葉の下に座り、竹筒からお茶を飲みおにぎりの弁当を食べている。

ちなみに共侍と中間と小者はみんな同じ弁当なのだ。

しかしまさか、市姫も同じ弁当とは思えず、では侍女たちはどうなんだろうと想像していた共侍がいたのかどうか……

「ことしの夏はいい天気が続いたから色付きがいい」

と鈴木貞道が言った。

「本当か?物知りだな。確かに色具合はいい」

と佐野信利が言った。

「モミジはきれいだし天気もいい」

と内田宗友が言った。

「モミジもいいが早く琵琶湖が見たいな六衛門」

と中山右門が言った。

じつに平和でのんびりした共侍たちなのだ。

年かさの三人も若い中山右門と植木六衛門の二人もみんな次男以下で、イクサに行って手柄を立てる根性もなく、ごくつぶしあつかいの厄介者なのだ。

みんなずぼらだから訳の分からん旅なんか行きたくなかったが、指名されて仕方なくだが、家にいても肩身が狭いので志願したものもいる。

そんな共侍のうち一人離れて弁当を食べているのが異色の山本佐内。

そんな山本佐内の中窪みの横顔を、やれやれあぶなかったとばかり、厠から出てきた内藤治重郎がチラッと見た。

あのとき

川内から帰って美濃に行き、安藤守就の案内で馬を御す娘に見とれていたらフイに現れた山本佐内が、聞きもしないのに姉妹の秘密をにおわせたのだった。

未だにそのわけが分からない冶重郎も本堂には入らず、皆にと同じ弁当を食べ、手枕で横になって寝入った。

 

それから半時を過ぎたころ、女たちのざわめきが庫裏の奥から聞こえた。

真っ先に乗馬着姿の市姫が深紅の陣笠を被って現れた。

(陣笠と言っても、普通の陣笠とは全く違い、厚みを持った曲線で構成された優雅な作りは堺仕立てで、黒地の織田木瓜紋が輝いている)

颯爽たる市姫に続く侍女達。

着る物も被り物もばらばらな供侍達に較べ、小袖は思い思いだが短い丈の内掛けで揃え、市女笠をかぶり元気いっぱいなのは弁当のおかげか。

「似合うかしら」と見せ合い、「顔が見えないから似合うわよ」とムシの垂絹は付いて無いが深い市女笠で隠れた顔がはしゃいでいる。

そんななか、朝から下痢気味で、お腹を抱えて弱っている若い侍女のお福をはげましながら、最後尾から出てきたお徳。

薄暗い庫裏から出た瞬間、真っ赤に色づいたモミジに反射した陽光が一点に集まり市女笠をつきぬけ、あの症状が襲ってきた。

 (ああっ)アノ時の思い出してはいけない快感。

まだ青かったモミジが、少女お徳が刎ねた五つの首から噴き出た鮮血で真っ赤に染まった一瞬の快感の記憶。

息苦しくなったお徳が笠を上げた視線の先に運悪く居たのが中山右門。

目を閉じる間もなく眸の奥を射抜かれ、この女を幸せにしたいと思ってしまった中山右門。いうなら小六と同じ症状。

直射は免れたが中山右門の隣にいた住職。

市目笠から覗いたお徳の表情にギョッとして息を呑んだ住職の合掌を後に、休憩し弁当も食べ元気が出た行列東山道に出ると、並んだ稲葉良通の手勢に、「ではお気をつけて」と見送られ、エッ関が原を越した藤川の里までの段取りのはずでは、と思ったが問い質すのもめんどうで、もし山賊なんかに襲われても山本佐内もお徳もいるしまあいいかと肯いた冶重郎。

関ケ原にかかると薙刀が揺れ若い落ち葉がサクサクと鳴る。

だらだら上る薄暗い山道を歩き続けるといつしか視界が開け、周りを山に囲まれた関が原盆地に出た。

冬には雪深い高原盆地を通り、やがて真っ直ぐ行くと京へ向う東山道から右に折れ、藤川を経て小谷に通じる街道に入った。