勝幡城

天文二十一年(1552)冬十一月。

かつて禁断の交わりがあったあのおぞましい屋敷で近親の交わりが!今。

性にはあくまで峻厳な政秀。

酒にだらしがないように性にもだらしがなければよかったと嘆きながら居城である志賀城にこもり、自分の所為でこんなことにと、身を傷つけるように責め続け、さらに実の兄妹に違いないと自身に止めをさすように決めつける政秀。

そんな日々が続き、正気を保っているのが不思議なほどの政秀の前に突然、一人の少女が現れて言った。「母の仇をなす」

そのわけを聞くと

手篭めにされて女の子を産み、乳飲み子を抱え放浪したすえ野辺に横たわる女は、縋る二歳の幼子に【父の名は平手政秀、母の仇をなせ】と口移しして息絶えた。

と言う。

  *

群雄が割拠する戦乱の世となり、急増する間者の需要に応えてあちこちの貧しい山間の村人が命がけの出稼ぎ。

高じて暗殺者をも養成する忍者の里に迷い込んだ母子。

痩せさらばえ横たわる母に縋る幼子を目に、よくある光景と普段なら見過ごすところを魔が差したのか甲賀の三蔵。

抱き上げ連れ帰ったものの、(子供が二人も居るのに養う余裕がどこにあるのさ)と女房のお直に罵倒されて放り出された幼子を、憑かれたように何度も何度も連れ帰る三蔵が気味悪くなったお直。

トクと言うので涜と名付けられた幼子は、年が替わって憑き物が落ちたかのような三蔵に鐚一文で、忍者を養成する男に売られた。

そして、その男は忍者の中でも需要が高い暗殺者を専門に作っていた。 

売られた幼い体を、日ごと夜ごと弄ぶ鬼畜の所業に耐えられなくなった幼子は、母を求めてポッカリ口を開けた奈落に踏み出しかけたが、嗜虐的な目をした男の首が宙に飛ぶ光景を夢見て踏みとどまった。

血反吐を吐きながら耐え抜き少女になった幼子。

暗殺者に仕立てられた少女が十一歳になったある日男の首を刎ね、色づき始めたモミジを一瞬で真っ赤に染めた同じ刃で夫婦の首を刎ね、ついでに二人の兄弟の首も刎ね、政秀の前に現われたときには、快感に侵された十二歳の女になっていた。

  *

身に覚えが無く以前なら歯牙にもかけない政秀。

しかし、父の名は(平手政秀)もしかしたら前歴がある倅の(平手久秀)かもと弱った心に疑惑が浮かんだ政秀。

少女の幼い心を崩壊させるに違いない背負った怨念が、同時に生きる拠りどころにもなっているのが痛々しく、討たれてやれば開放されるが今後父親殺しの負いを一生背負っていかねばならない。

どうしようかと思案し浮かんだのが碧い目を瞬かせる市姫の姿。

 (こんな異常少女は異常な市姫しか扱えない)

「少女を連れた政秀殿が冶重郎どのに伴われ、たしか霙の降る寒い日の朝に訪ねて来ました」と言って碧い瞳を輝かせた市蝶が、「結論は直ぐ出ました。政秀殿が切腹して少女が介錯する」と言いさらに、「幕を引きたがっている政秀殿と父親殺しの負いを背負わず母の仇をなせる少女。問題は、十二歳の少女に生首を一太刀で打ち落とせるか? 試してみる訳にもいかず、冶重郎どのは何故か首をかしげ、間違いなく判断できる男が姉帰蝶の処に」

訊くと馬は乗れると言う。

わたくしの乗馬着を着せてみたらびったし。

偶々前の日から訪れていたお春が、少女の乱れていた頭を触ったついでに面白がって嫌がるのを構わず、唇にうっすら紅を注したら……

何かが反応した!

暗い陰気な顔が明るく美しい少女の顔に♪

少女の危うさを危惧しながら、

初春の尾州路を勝幡から富田聖徳寺まで愛馬白竜を駆る市蝶。

腰に小太刀、あざやかな手綱捌きを見せ軽やかに続く少女。

これまたあざやかな手綱捌きのお春。

春とはいえ未だ寒い一月末。

どうゆう風の吹き回しか、玄関まで迎えに出た素足の山本佐内が、右手に小太刀を持つ少女の肢体を一瞥。

薄暗い中廊下を歩きながら市蝶の問いに頷いた佐内。

間違いなくと思いながら、わざわざここまで来なくても、内藤治重郎に聞けばわかることなのにと首を傾げ、お春をチラッと見て、「小太刀で」と言ったとき少女と目が合った。

中廊下よりさらに暗い帰蝶の居室に入る。

帰蝶のカスレ声は堂に入り、かたわらに控える者の顔が見たいと、わずかな明りが消され瞬時の闇の中、阿修羅のごとく見開いた少女の目が闇に輝く帰蝶の碧い瞳をしつかり捉えていた。

  

天文二十二年(1553)閏一月/平手政秀切腹.享年六十二歳。

十二歳の少女トクが断った平手政秀の首が、喉の皮一枚残し懐に抱かれるように落ちた見事さは、抱き首としてのちに作法になったほどで、孫かもしれない少女の幸せを願いながら、もしかしたら犯したかもしれないわが子の過ちを背負い、母の仇として切腹した祖父かもしれない父に対するせめてもの手向けだった。

 

ちなみに、立会人は内藤治重郎ただ一人。

少女トクが構えて間が開き、

早く打てと政秀が言った瞬間首が落ちびっくりした表情で懐に抱かれていた。

その時、少女が愉悦の表情を浮かべていたのを目の端に記憶した治重郎