庫裏①

永禄九年(1566)九月三十日。明六つ半。

お目覚めですかお市さまと襖越しに声がかかり

「きのうの天気が嘘みたいにいい天気ですよ」

と襖を開けながらお徳が言った。

目は覚めていたがまだ寝床の中の市姫。

「お春が居て安心しました。死にそうな目に遭いましたもの」

とあくびをしながら言う市姫。

先乗りに同行していたお春が髪を梳きながら、「普段の行ないが悪いからそんな目に遭うのですよ」と言う口の悪さは何時ものこと。

いつだったか三郎信長の頭を触りながら

「三郎さまのおぐし細くなられて、もうじき禿げてしまいますよ」

と言って辟易させたこともある。

 

女達は雪に痛めつけられた行列の着物を繕ったりする作業を手伝うため直ぐ近くにある白川神社に朝から出かけていた。

用意されていた簡単な朝食を三人してとりお膳を片付けたお徳。

あくびを手で押さえ寝たりなさそうな市姫が、「わたくしまた寝ますから」と言ったので片隅に寄せてあった寝床を敷いたお徳が、「わたしも神社に、あとはお春さんお願いします」と言って襖を開け座敷を出ていった。

お徳が襖を閉めるそうそうに寝床に潜り込んだ市姫

それを見てお春も「私も神社に。大丈夫ですね一人でも」と言って出て行こうと襖を開けたとき小六を伴い冶重郎が姿を見せた。

あらまあとお春。

ちょっとここでお待ちくださいと言って襖を閉めたお春。

二人が来たことを市姫に告げると、仕方ないわねと市姫が抜け出た寝床をたたまず隅に寄せたお春が、どうぞお入りくださいと襖の外に声をかけた。

二人が入ってきた。

「おやおや冶重郎殿ではありませんかお久しぶり」

と寝そこなったことも合わせ嫌味を言った市姫。

そんなことには頓着なく

「ご無沙汰しています。お元気でなにより」

と言った内藤冶重郎と市姫を交互に見て笑った蜂須賀小六

ちょっと小六をにらんで市蝶が言った。

「おやまあっ小六殿まで。いまお徳が出て行きましたが会いませんでした」

「いやっ裏木戸から入ったので……」と言った小六が改まって「お元気そうで恐悦至極、です」と挨拶した。

クスと笑った市姫。

「お春と小六殿は初対面かしら?」

と言う市姫にお春が言った。

「知っているわよ小六さんは。むかし筏で木曽川を下ってきた人」

ああっと頷いた小六。

「冶重郎殿と三郎様と一緒に、満開の桜の木の下で手をふっていた女の子!」

「そう、そのときの女の子。久しぶり」

ところで「何故お徳殿のこと調べているの小六さんは?」とお春が言った。

「おやっそれは知りませんでした」と市姫「お徳は知っているのかしら小六殿のこと。知っているわねえお徳のことだから」と言った。

そして

「あのとき小六殿に揶揄されましたけど吾助に抱っこされて気持ちよかったのはほんと」と正直な市蝶。「それから吾助の怪力を目の当たりにしてびっくりした冶重郎どのお顔も面白かった」ともはや懐かしそうな風情で市蝶が言った。

あの雪に見舞われたときのことならと治重郎が言った。

「わたしはお市さまが落馬したときの方がびっくりしましたが……」

落馬⁉

「わたくし白竜から落ちて気を失ったの?そして吾助に抱っこされて気がついたわけなの?信じられないけど、わたくしを落とした白竜はどうなりました?」

気になりますと市蝶が言った。

「足を傷めて動けなくなったのでわたしが楽に……」と冶重郎。

「冶重郎どのが楽に……」何かを思い出しそうな市蝶。

「さよう。それからお市さまが足を傷めたと聞いた小六殿がこの近くにあった神輿を改造した輿を用意しているようです。お市さまに乗ってもらえるように」

と治重郎が力を込めて言った。

「白竜が死んだのでわたくしは輿に乗るのですか」と市蝶。

お市さまが輿に乗り代わりにお徳が馬に乗るのが小六どのの希望」と治重郎。

「お徳を馬に?」と首を傾げた市蝶。

「それはいいのですがわたくしは承知していませんよ輿に乗ることを」と言いさらに、「足はもう痛みませんし。それになぜお徳を馬に乗せたがっているのですか小六殿は?」何故と言う市蝶。

「お徳の乗馬着姿を見たいと」と言う治重郎は「お徳が乗っても恥ずかしくない見栄いのいい馬を小六殿が探しています」と付け加えた。

「もしかして」と市蝶。

「墨俣の砦で見たお徳の乗馬姿に……小六殿はお徳に惚れたの?」

と誰に聞くともなく聞いた市蝶。

「おやまあ。小六さんはお徳殿が好きなの?」とお春。

そうなのと念を押すように訊くとあわてた小六が、「いやっ、もうそんな惚れたはれたの歳ではありません」と髭まで赤くなった。

「お徳はもういい歳、小六殿とおにあいかも。でも小六どのはお徳どのに好かれているの」と首をかしげるお春。

「それは……」と自信無さげに髭を撫ぜる小六。

「お徳の気持はわたくしが確かめてみます。いい馬が見つかるといいですね」

と言ってふっと微笑んだ市蝶。

輿に乗ることを承知したと勝手に判断した場に緩んだ空気が漂った。

 

ここからは茶飲み話という感じでお春が言った。

「冶重郎さまも小六さまも女の気持は手の内で釈迦に説法でしょうけど、もし馬で早駆けしていて曲がりそこない木にぶつかって落馬したとしたらどう思います」

と治重郎と小六を交互に見て首を傾げた。

どう思いますかといわれても元々馬が苦手だからと苦笑した小六が、「おのれの間抜けさバカさ加減を笑うか嘆くか……」と言った。

正直な小六に改めて好感を持った市蝶。

ところが女はとお春。

「そこに木があるのが悪いと思えるの。とにかく木が悪いと言い張れるのが女の性。もっとも近頃では木が悪いと言い張る情けない男が多くてこまったもの。それはともかく理屈ではなく殿御は女御を理解していたわってあげないと、それが男の値打ち」

ねえっ冶重郎さまとお春に顔を覗き込まれたが、オレは鈍感だからと苦笑して言った。「しかし過ぎると男が参る。手が出る足が出る」

そこが問題なのとお春も笑って言った。

「手や足が出るのも困るけど、誇りを取り繕うためイクサを始めてしまうのが男。違いますかお市さま」

「違わないけど、男の誇りを操る女の怖さや狡さは女が知っています。でも、男女の仲は理屈ではありません。小六殿とお徳、二人はお似合いです」

どこか投げやりな市蝶が手で口を押さえてあくびをした。

さっしたお春。

お市さまはお昼寝をしたいようです」

と言って座敷を出たお春に続き座敷を出た二人の男は庫裏を出ながら(お春は大げさなのだ)と同じように思ったが口には出さず、庭を掃いている頬かむりした長身の寺男を横目に神社に向かった。

ひとりになった市蝶はふっと気が抜け無性に(小六殿も大変だ)と思いながら片隅に寄せてある寝床に入って長押の薙刀見ていたら瞼が重たくなった