極楽寺

永禄九年 (1566) 九月三十日 昼前 

極楽寺の大きな山門を潜った使者の三人。

正面に見える本堂の右手に建つ庫裏から、にこやかに現われたた小太りの男が佐内を見てちょっと驚いた顔をした。

「先乗りの明智光秀」と名乗った男に案内されて書院に入る。

すぐ口元にホクロのある女が入って来て、湯気の出ている湯飲みを載せたお盆を座卓のうえに置きお辞儀をして出て行った。

「お疲れでしょう」

と気を遣い右手に持った太刀を持ち直した光秀。

重たい太刀を外して寛ぐように促したこの男は、寺の中なのに何を用心して太刀を持ち歩いているのだと思った佐内。

「大変でしたな、まあお茶をいっぱい温かいうちに。きのうの今日、朝早くからお疲れなのにごくろうさまです。太平殿から聞きましたがとにかく名うての関が原の雪。降るはずがないこの時期にわたしもいちど経験がありますが降り出したら一気ですから災難でしたな。昼を過ぎ伊吹の頂がみるみる白くなり心配していたのですが無事でなにより。浅井の迎えも間もなく到着されるはず。ここで休んで待たれるのがよろしいかと。小谷まで行くのは行くだけでなく帰らなければならないから大変です。それにしても、もうすこしで死ぬところだったとは、もしお市さまが死んだら……いやはや何がおこることやら」

「手水を拝借したい」

話を遮るように植木六衛門が言った。

「これは気が付きませんで」

と会釈した光秀が、「庫裏の手水はいま使えないので外に出て裏手に行ってもらうと、なんでしたら案内しますが」と言った。

「いやっけっこうそれより」

内藤冶重郎から頼まれた侍女お徳の子供のことを訊ね、無事だという返事に肯いた二人の男が腰に太刀を収め書院から出て行くのを追いかけ(あちらの方)と指差し戻って来た光秀が天井を見ていた佐内に、「お久しぶりです」と懐かしげに声をかけた。

天井から佐内に視線を向け

「こんな所で会うとは。織田の飯を食んでいるのか」

と佐内が言うと甘えを感じさせる光秀の声が言った。

「いやっ客分でして。浅井に面識があるので今度の役目を」

ほおっと頷いた佐内。

「元気そうで結構なことだ」と佐内が言うと、「お元気な姿を拝見できて嬉しい限り。改めて思うに、今日会ったのは三回目ですが二回目に会ったときのご恩は忘れません」と光秀が言った。

十年前、止める奥の方を振り切って覚悟の道三と共に死のうと駆けつけたが間に合わず落ちてきた瀕死の男を助けた。

それが光秀との二回目の出会いだった。

ちなみに、初めて佐内が光秀に会ったのは十六年前の天文十九年春京の清原邸。

裏目続きのこの男、若い時の整った顔立ちに大分肉が付いて声も濁ったが澄んだ眼差しは変わりなかった。

佐内を見た光秀の含羞を含んだ眼差しから含羞が消えた。

「見てもらえませんか」

といって右手の太刀を帯に差し、じわっと腰を落とした。

居合い?

白刃が筋を引ききれいに型が決まった。

「かなり修練を積んだようだな。誰に学んだ」

と聞いた佐内。

「我流ですが暇にまかせて……」

と答えた光秀

「意外にあたらしもの好きなのだな。しかしイクサでは役に立たんぞ」

と素っ気なく佐内が言った。

頷いた光秀が言われなくてもという顔をした。

「試しに人を斬ったのか」

と佐内が何気に訊くと首を振ったので、「犬でも切ったのか」と冗談めかして言うと光秀の澄んだ眸が見る見る曇った。

簡単に落ち込む性は変わらないなと思いながらフト、「それで弾正忠殿に会えたのか」と信長の名を出してみたら急に表情が明るくなり瞳も澄んだ。

「どんな感触だ?何を話した」と佐内が訊いた。

   *

信長との初顔合わせを決して忘れない光秀。

「輿入れの挨拶に行くからあんたも一度三郎さまの顔みておくか」と冶重郎殿に誘われ、早朝小牧城の城門の外で待ち加治田城に出かける信長に会った。

「先乗りの指図をする明智光秀殿」と引き合わされ下馬した信長。

明智はどこの明智だ?」と訊かれ口ごもるわたしに、「道三殿のために戦った男」とすかさず言ってくれた冶重郎殿。

フムッと肯き、「妹の我侭で苦労をかける。帰ったら話がある」と言って騎乗しかけ、「明智の者も」とわたしの目を覗きこんで騎乗した信長。

近習の塙直正をともない駆け下りて行ったが、「明智の者も」と言われた意味が帰ったら話があるのか輿入れを頼むなのか分からないままになってしまった。   

   *

ホクロの女が書院に入ってきて光秀に言った。

「浅井様の出迎えがもうしばらくすると到着されるようです」

肯いた光秀に続いて佐内も書院を出た。

ちょうどそこに二人の若侍が戻って来た。

光秀は山門に向い、三人は本堂の前で待つとほどなく浅井の迎いが到着した。

下馬する浅井の重臣田屋孫右衛門と息子の田屋市之介。

田屋孫右衛門の姿を見て渋い顔した佐内。

 (竹光で立ち合えば勝つだろうが真剣を交えれば常に相打ちを狙ってくる孫右衛門にやられる) と思っている佐内。

この親子とは顔見知りらしく親しげに近づいた光秀。

「ごくろうさまです」と会釈し何やり耳打ちした。

えっと大仰に驚きを見せた孫右衛門が次の瞬間安堵した様子を見せたのは花嫁の無事を聞いたからだった。

光秀に案内され孫右衛門が二十人余りを連れて本堂の前に来た。

本堂の前で待っていた三人。

三人を代表して植木六衛門が冶重郎に託された書状を渡し、「お市さまがよろしくと申しておりました」ともっともらしく口上を述べた。

「ほおっ、明日一日で小谷まで。そんなに急ぐことはないのだが……」

と頷いた孫右衛門がちらっと佐内を見てから、「しかしとにかく花嫁がご無事なことはなにより」と言った。

恐縮する光秀が、

「明日は間違いなく御到着、ここへの到着今日より早めになるかと」と言うと、気にされるなと手を振った孫右衛門が、「当方も明日は早めに、今一度お迎えにまいります」と破顔して言った。

ほっとした光秀が、

「お茶でも飲まれ一休みされてから戻られたらいかがですか、どうぞ庫裏の方に」と誘うと、「甘えさせてもらうか」と言って懐から矢立と巻紙を取り出しすらっとしたため小者の一人に(館え)と渡した。

遠慮なくと満面笑顔の光秀。

ホクロの女が一行を奥の座敷に通したが直ぐ戻ってきて、

「浅井様が奥の手水を使いたいと申していますがいかがいたしますか」

と言ったので難儀な顔をした光秀。

先ほど六衛門に使えないと言ったのは庫裏の手水は花嫁のためここに来てすぐ空っぽにして使用禁止にしておいたからなのに……。

一部始終を見ていた佐内。

いつも肝心なときに抜かるのがこの男の困ったところ。

しくじったという顔を見せずに、「使ってもらえ」と光秀は言ったが内心、二十人分かと舌打ちしたに違いないと思った佐内