白川神社① 

永禄九年(1566)九月三十日 暮6つ

白川神社は知恩寺の直ぐ傍に在る。

広い境内のそこかしこにははかがり火が明々と焚かれていた。

鳥居を潜った右手に小六組の男衆がたむろする社務所に灯りが点り、赤く色づいた紅葉が石畳沿いに並び鮮やかにかがり火に映えている。

石畳の正面に影をなしてあるのが流造の本殿。

その手前に立つ拝殿の四方に灯った提灯が微かに揺れ、心を躍らされる祭りの前夜のような雰囲気が漂っていた。

拝殿に上がりまず本堂を拝んだ治重郎と小六。

二枚の座布団。

真っ赤に熾きた炭が入った火鉢二つ。

○に六の字が入った丹前二枚。

お茶の入った急須と湯飲み茶碗二つ。

等々を若い者に手伝わせ拝殿に運んで置いた源次郎が「明日一日で小谷まで」と念押しして小六を窺った。

一升瓶とつまみを抱えた小六が肯いた。

分かったと若い者を促し拝殿から去っていく源次郎の、道中のはじめから元気の無い背中がいっそう丸まって冶重郎には見えた。

 

火鉢を抱え丹前を羽織った二人の男が向かい合った。

「冷だが」といって冶重郎の湯飲みになみなみと酒を注いだ小六。

自分の湯飲みにはお茶を入れにやっと笑った小六。

「下戸なのだ」と言った。

「雷に打たれたらしいが大丈夫か」と一応冶重郎が訊いた。

大丈夫だと答えた小六が治重郎に聞いた。

「雪の中でお市様が馬の首を断ったと言うのは本当か?」

「本当だ」とあっさり言って湯飲みに口を近づけた治重郎。

「何故だ?」と小六が訊いた。

「乗っていた白竜が後ろ足を蹴上げてお市さまを振り落としたからだ」

と冶重郎がまたあっさり答えた。

「何故足を蹴上げたのだ」と小六が訊くと、「さあっ」と冶重郎が首をかしげた。

理由はわかっていた。

五郎丸が前を行く白竜の尻をぺろっと舐めたからで、舐めた訳も分かっていたがそれを言うと何故だと切りがないので答えるのがめんどうくさいと思ったからだ。

それと、胴体に皮一枚で引かれる首が白い道に曳いた赤い筋の記憶を消したかったのもあった。

ふうーんと話しを変えた小六。

お市様の人柄が時々変わるという噂に関係があるのか?」

ぐいっと盃をあけた治重郎。

「ほうっ、いろんなことを知ってるな小六殿は」

ぐいっと湯呑をあけた小六。

「嫌味か。――しかし輿に乗って輿入りが常道なのに何故馬に?」

と首をかしげる小六に治重郎。

「奥の方の目が不自由なのは知っているな。輿入れのとき帰蝶様の代わりに市蝶さまが美濃から尾張まで輿に乗って来たのだ。輿に乗って輿入りは生涯で一度っきりと昔のことを根に持って拗ねているのだ」

と笑った冶重郎も人のことは言えないのだ。

(馬を下り白いおとがいを露わに美濃の青い空を見上げた十三歳の少女市蝶の乗馬着姿が魔物のように冶重郎の脳裏の奥に住み付き何時までたっても変わらぬ姿で勝手に出てくるのだった)不治の病だなと自嘲した治十郎。

そうかと小六が肯き、「足を傷めたお市さまが輿に乗るらしいな」と呟いたのに対し、「あんたがお徳を馬に乗せたがっているとお市さまから聞いたがなぜだ」と冶重郎が小六に訊いた。

「まあっいろいろと……」と言葉をにごして沈黙した小六。

ー墨俣で出会って以来この女を護りたい思いに捉われいろいろと調べもしてここまで来たが、雪の中に佇むお徳を見ていておのれの力のなさを思い知り誰にも負けない誰からもお徳を護れるような力が欲しくなった。藁をもつかむ気持が砦で見た乗馬着姿を見れば力が湧いてくと勝手に思い、おれの気持を察した市姫の優しい心遣いが足を傷めたと言わせたのだーと思っている小六。

「おととい駄馬二頭を護って柴田権六殿の手勢が来たが物々しくて傍にも寄れなかった。あれは何だ」

とはぐらかすように小六が言った。

「駄馬の一頭は浅井えの持参金。もう一頭は兄から妹に贈られた手許金のはずだ」と冶重郎が言った。

「たいそうな額の手許金だ、弾正忠殿も妹には甘いのだ」

と小六が茶化すようには言った。

しかし、駄馬と一緒に来た筈のピカピカの輿のことは何故小六は言わないので冶重郎も聞かなかった

まあな、ともっともらしく肯いた冶重郎が辺りを見渡す。

小便か?と目ざとく気付いた小六。

二人連れ立って社務所の裏手にある厠に向かう。

二人の影を揺らしながらかがり火がひとつふたつと消え、拝殿の周りのかがり火に薪を注ぎ足す人影がそっと現われそっと消えた。

二人並んで用を足した。

二人とも手は洗わず袖になすりつけて拝殿に戻った。

すっきりした冶重郎が言った。

「いろいろと調べたらしいがお徳の父親が誰なのか知っているのか?」

「誰だ」それは知らなかった小六。

噂にも出てこなかったとつぶやく小六に、

「知ったら知る前に戻れなくなるぞ。それでも知りたいか」

「知りたい」

お徳のことは全て知りたい小六。

「父親は平手政秀殿だ」

もったいぶることなくあっさり言った治重郎。

「平手?弾正忠家の家老平手政秀か!」

ちょっと驚いた小六。

だがそれを知ってどうこう言うことでは無いがという顔をした小六。

お徳を思う小六の顔をうかがい、お徳が父親と思われる平手政秀の首を介錯とはいえ刎ねたことは言わないことにした冶重郎。

「あんたも女には甘そうだな」

と自分のことは棚に上げた治重郎が言いさらに言った。

「お徳の相手をするのは大変だぞ。とはいってもこの世はすべてワッショイなのだ、男と女の仲もワッショイなのだ」

「酔ったのか!」と小六。

「酔ってはいない!」と治重郎。

山村の神社。

古びた拝殿をゆっくり時が流れ酔ってワッショイなのだ。

肉体は過去から来て未来に去り、精神は未来から来て過去に去る。

無数の微小な物体が過去と未来を永劫に循環しながら暗黒空間をさ迷う。

一瞬の現在でたまたま結合したまたま一人の人間となり再び分散してさ迷う。

今このとき一瞬のはかないおうせを酔ってワッショイなのだ。

   *

ふつと夢から覚めたように、

「輿入れの景気付けにそこにあるマトイを吾助に振らせようと思っている」

と小六が言って拝殿に立てかけてある纏を差した。

肯いた冶重郎が前から思っていたこと、

「三郎さまを直接担ぐ気は無いのか」

と訊くと首をふった小六。

小六の本心は三郎信長を担いでワッショイと言いたいのだ。

しかし、今まで身を寄せた主が軒並みあっけなく滅びたのは我が身に取り付いた疫病神の所為に違いないと思い込んでいる小六。

だから、今度誰かに身を寄せるとしたら疫病神にも負けないほど強運な秀吉にしようと決めている小六。