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極楽寺①
永禄九年 (1566) 昼四つ半。
引き続き天気は上々。
本来ならここで一泊して二日がかりの予定だったのだ。
それを、小便が近いのを忘れた訳ではないが何かに急かされ一日で行くと報せてしまった治重郎。
けっか、休憩が(六べエ)でしか取れなかったのでここに着いたときカワヤに走るはめになってしまった治重郎。
この先の休憩所も浅井が仕立てた一箇所だけに違いないと後悔しながら立会いを待っている治重郎。
そこに、先乗りの明智光秀が大丈夫ですか内藤殿という顔で小太りな姿を現して言った。
「大変でしたなご無事でなにより。朝早くに来た太平殿から聞きましたが名うての関が原の雪。降るはずが無いこの時節にわたしも一度経験がありますが降りだしたら一気ですから災難でしたな。伊吹の頂が見る見る白くなり心配していたのですが……」
止まらない光秀の口を、「太平は来たのだな」と念を押して止めた治重郎。
肯いた光秀は、「小谷に向って一目散。張り切りすぎて体が持てばいいのですが……」と心配そうに言った。
頷いて治重郎がいちばん気になっていた「お徳の子供は無事か?」と訊くと、「既にわたしが小谷に」と胸を張った光秀。
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間も無く立会人の山本佐内に続いて中山右門が六衛門に付添われ現れだ。
よろよろして今にも倒れそうな中山右門なのだ。
それを見て眉をしかめた冶重郎。
小六の心配そうな顔が治重郎に近寄り、「大丈夫か、輿入れに血を流したらまずい」と言うので「大丈夫だ、腕が段違いだから心配ない」と答えた。
肯いた小六が源次郎の近くに立っているお藤を指し、「誰の侍女だ」と聞いた。
冶重郎が返事をしないでいると、
「源次郎の死んだ母親によく似ている」と誰に言うでもなく言った。
庫裏の前人垣が割れ姿を見せたお徳にギョッとした冶重郎。
命のやり取りに現れた女。
拭うことの出来ない飢餓の記憶。
凄惨な憎悪の殺気が境内を覆った。
輿入れの出し物ぐらいの軽い気持で花嫁を見に来た見物人はむろん、笑っていた行列の一行も、到着した浅井の出迎えもみんな一瞬で凍りついた。
お徳の姿を見て腰が抜けかけた中山右門。
見て取った佐内が素早く、「はじめ」と宣し右門の背中を強く押した拍子になぜか佐内自身が揺れたように冶重郎には見えた。
押されたはずみで盲滅法太刀を抜いた右門が構えるより早く右籠手にお徳の峰の刃がツゥと入り太刀が落ちた。
右手を押さえてしゃがみこむ右門の鼻先光る刃がくるっと返り頭のてっぺんめがけてズバッと振り下ろされた真向幹竹割。
思わず目をつむった境内を埋めた者の脳裏に顔面が二つに割れた右門が血の海に倒れこむ姿が見えた。
「それまで」佐内の冷静な声が境内に響いた。
膝を折るように倒れこんだ右門。
一歩下がって刀を鞘に納め佐内に一礼して庫裏に向かったお徳。
刃は髷の中頭皮の上で止まっていた
生の、むき出しの殺意を身近で見た刺激は強烈だった。
居た者たちの瞳孔は半ば開き腰を抜かした六衛門は這って右門にいざる始末。
血が流れる心配をしていた小六に、「やつは気絶しただけだ」と言って安心させまわりを窺った冶重郎が眉を顰めた。
お福が並んで見ていた吾助の手を取り庫裏の裏に消え、源次郎は母親に似たお藤に誘われふらふらと本堂の裏に消えた。
我に返った一同
開いた瞳孔には陽射しがきつかったので女たちは手をかざし庫裏に入り、男たちは本堂に入りお茶を飲みながらおにぎりをほおばっている。
お茶を飲むわけにはいかない冶重郎。
つばをかき集めておにぎりを飲み込み手枕で横になったが落ち着かなくて庫裏に行き座敷をそっとのぞいた。
笑っているお市さまの横でお徳を慰めているお春。
ここは大丈夫と踵を返し庫裏を出た足が勝手に、死んだ母親に似ていると聞くお藤に曳かれた源次郎が気になり本堂の裏手に向っていた