近江路① 

永禄九年(1566)十月一日昼九つ半

花嫁行列は田屋孫右衛門の先導で小谷を目指し出発した。

やがて舟橋が架かる草野川に差し掛かった。

揺れる舟橋に恐れをなしお徳の手に縋って渡った市姫。

わたり終わった市姫が「少し歩きたい」とお香に手をあずけた。

市姫に手を預けられたお香。

浅井の匂いを嗅ぎながら歩いていているうち、決めかねていたお香は市姫の手をぎゅっと握り浅井に残る決心をした。

お香の手をぎゅっと握り返し再び輿に乗った市姫。

乗ったはいいが立会い騒ぎで昼寝をし損ね眠たそうな市姫。

(寝たらダメですよ)とお徳がそっと声をかけ、しばらく行くと右手にお休み茶屋孫ベエが現れた。

茶屋の向こうに青々と連なる山々が見える。

山々が貯えた豊かな水を山裾から左手の琵琶湖にいたる多くの潅漑用水路を作ったのは長政の父久政。広大だが荒れていた田畑を潤し浅井を豊かにしたのが今は隠居した浅井久政の優れた施策の一つ。

その中の一本が茶屋の脇に立つあづま屋をかすめて街道を掘割で横切っていたが、掘割を覆った敷板の上を溢れた用水が濡らしていた。

「ここの掘割は近々掘り下げる予定だ」

と孫右衛門が言った。

板敷きを越した所で下馬したお徳の前を恥ずかしそうに右門が通った。

(何故あの時振り下ろすつもりの刃が止まったのかお徳にも分からなかった)

心配したとおり輿の上で舟をこいでいる市姫。

掘割の上を不安定な二天棒の輿が渡り始めた途端、支える左右の棒端が打ち合わせたように濡れた板敷きに足を滑らせ輿が傾いた。

あっとお徳が手を差し伸べる間もなく、傾いた輿は滑るはずの無い台輪までも担ぎ棒を滑り市姫の体が一回転。

額を右の柱にしたたか打ち付け憤怒の形相於市が現れた。

薙刀を取り手当たり次第と振りかぶった於市。

その懐に飛び込み(おゆるしを)と当身が突き刺さり、ぐらっともたれかかった市姫を支えて振り向くと吾助。

市姫を抱えた吾助を小六がいざない侍女達も続き茶屋に。

 

そのどさくさにまぎれ駆け込んだ茶屋裏のカワヤを出たとたん佐内と鉢合わせ「なんで闇に居るあんたがこんな明るい所に」と言って取り繕う治重郎。

その様子を見て「あんたは何を急いでいるのだ」と皮肉混じりに言ったがまた軽い眩暈を感じ中窪みの顔を顰めた佐内。

 

座敷に運んだ市姫をとりあえず布団に寝かせた小六。

浅井に根を持つ者の企みかもと心配しながら見守っていると、「大丈夫かお市さまは」のんびりした声と共に冶重郎と佐内が現われたので単なる事故だったと合点した小六が「俺は輿を見てくる」と言って出て行った。

佐内の活により意識は戻った市蝶。

恥ずかしいのと眠たいのとで眠った振りをしている市蝶が子供じみていて無性に愛おしくなったお徳が、「お昼寝をしましょう、いいでしょ冶重郎さま」と返事を待たず市姫に寄り添ったのでお福も倣い、苦笑した冶重郎が縁の外から窺っていた市之介に声をかけ横になったので吾助も横になり、なるほどと佐内までも刀を抱えて横になったので侍女達も横になり、部屋いっぱいの雑魚寝があっという間に寝息を立てた。

 

深く沈んで直ぐ浮き上がったお徳。

目の端で市之介を誘ってそっと部屋を出たお徳。

間をおかずに姿を見せた山本佐内と向き合ったお徳。

左足の小指を確認し、「あの時はありがとうございました」と頭を下げたお徳の脇をぶすっと通り抜けた佐内に、「温かいお茶を一杯」と声をかけたお徳。

振り返って「小袖の裾は狭いほうが動き易いのか」と言った眸にどきっとする色っぽさをあの時と同様に感じてうろたえたお徳に暗殺者は黙って背中を向けた。

見送った女は捕らえた男市之介を横目で組み伏せた。

  *

茶屋から出てあづま屋に顔を出した佐内が「なかは雑魚寝だ」と誰にとも無く言ったのはまったく柄にないこと。

「ほおっ雑魚寝か面白そうだな」と不思議なものを見るように佐内を見た孫右衛門が、「ところで織田軍には死体始末係というのがあるそうだが何をするのだ」と小六に訊いた。

其の件ならと小六に振られた光秀が、「死体の係りではなく傭兵の係りですよ。出稼ぎで死んだ者の身寄りに賃金や遺品として兵衣などを送る係り」と言った。

「なるほど、兵衣は朝鮮からの木綿か?揃っているが」と感心した孫右衛門に、「朝鮮から木綿の白物。織田方の傭兵だと分かるように染めて名前も」と光秀が言った。

「本当か?傭兵に対してそこまで」と首をひねった孫右衛門。

したり顔の味物秀が、

「イクサでやりたい放題の濫妨狼藉をさせないための方策。特に雑兵が役得とばかり一般人を捕らえて奴隷に売る(人取り)は弾正忠殿がもっとも嫌うこと。ちなみに傭兵はあらゆる縁を切った、あるいは切られて流れる無縁の者が多い」

と(俺もそうだがと思いながら)言った。

頷いた孫右衛門が、

「昨今では無縁の者が増えているな」

と佐内に同意を求めたがそっぽを向いた佐内が立ち上がり、「輿を見てくる」と言って出て行った。

それを見てわたしもと光秀が後を追うように続いた。

黙って見送った孫右衛門が残った小六に、「傭兵の斡旋は儲かるのか」と訊いた。傭兵といっても設営や兵站に回る者もいる。

出自も定かでないが信長の近くで重要な役を担っているものも居る。

人助けでやっているだけなのでむっとした小六が、「茶屋を見てくる面白そうだ」と言って立ち上がった。

独りあずま屋に残され深い疲れを感じた孫右衛門。

砂塵を上げ牛に引かれた荷車が巨大な釜一式を積み手綱を取った吾助が孫右衛門をしり目に小谷を目指し駆けて行った