姉川

永禄九年(1566)十月一日5つ半

藤川を発った花嫁行列。

何処までも付いてくるような伊吹山を右手に黙々と歩く一行。

越える人にとって此岸から彼岸に渡るような気がする姉川まで道半ば、光秀が仕立てたお休み茶屋六ぺえで休憩。

「座っているのは大変、歩くほうがよっぽど楽」

と大げさにぼやく花嫁。

ハイハイ分かりましたと生返事をしたお春。

この日はこの先の極楽寺までの予定だったが、なんかいつの間にか小谷まで行くことになった。

そっと喜ぶお徳。

おまじないとお徳の手にフッと息を吹きかけお春が言った。

「どう慣れたかいうわさ通り上手いんだ馬」と言いさらに「あたしも馬はちょっとしたものだけど、どうせなら先頭を駆けてみたら(ねえお市さま)どういうわけで乗ることになったか知らないけど乗ったらお前さんの天下なんだ、誰も敵わない三郎さまでも。見たいね、見せてやりなよこれがわたしだ文句があるかって。憂さも晴れるっていうもんさ」

お春の景気づけのような饒舌さに乗っかった市姫に「公達みたいよ」とそやされ先頭に放たれた二十五歳の女の心は宙を駆け、憂さも晴れるってお春さんは言ったけど何ものにも囚われないこの快感。

  *

中山右門は思った。家督を継げない次男でごくつぶし扱いのようなオレには女を幸せにしたいと思うことも許されないのか。

普段は気にしないようにしていたが、先頭を颯爽と行く馬上の女を幸せにするにはまずオレとの結婚をと思ったら自分の置かれたみじめな現実が顕わになった。

子供のころから算術には興味があったが体は脆弱で、怖くてイクサにも行けないごくつぶしのオレにはやっとオレひとり分の食い扶持しかないのだ。

  *

伊吹の頂に駆け上がり琵琶湖の湖上をひとっ走り。

攻撃の免罪符が甘い蜜を生む言い訳の過去にあるのは知っている。

知ってはいるが過去の反吐を吐き出す勇気が無い。

しかし馬上の今微かな希望が……。

吾助のマトイが揺れ一瞬クルッと回って六方を踏んだ。

深く暗い過去から解れたかのように軽やかに疾走する四郎嵐の鞍上、とめどなく流れる涙が気持ちよく頬をこすって空中に散り虹をつくった。

   *

晴天なのに女の回りに虹が見えたのは幻覚なのか。

せめてこの旅のあいだだけでも錯覚と思われようが運命のような出会いを楽しんで何が悪いと思った中山右門。

マトイが右門をけしかけるように躍っていた。

女のためマトイを振ろうと中間姿の若い男によこせと言ったら軽く跳ね飛ばされてしまった。馬上の女に見られたに違いない。

きまりが悪さを胡麻化すためつい刀の柄に手を掛けてしまった中山右門。

   *

行列を乱す中山右門に眉をひそめたお徳。

吾助にまつわり、振り払われていきなり刀の柄に手を掛けたので、素早く下馬し右門に近寄り(立ち合ってわたしに勝ったらあなたのお嫁さんになります)とその場を収めるため出まかせを言ったお徳。

「嫁になる?おれの!」

と言って嬉しそうに笑った顔がフイにいたぶる兄弟に重なった。

ああっ

流した涙の甲斐も無く、快感の記憶に抗せず、真剣の立会いでこの若者の首を刎ねずにはいられなくなったお徳。

思えば、何度首を刎ねてもあきたらないあの二人の兄弟。

でも、あの二人が居なかったら今生きていないのも事実なのだ。しかし……